番外 ぶらり田子の浦港
田子の浦の富士/富士と港の見える公園
富士川河口の山並み/富士と港の見える公園
駿河湾&伊豆半島/富士と港の見える公園
沼川&愛鷹連峰/沼川橋
田子の浦港/沼川橋
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資料ファイル
見附と(元)吉原宿
鎌倉時代のはじめころ、この辺りに見附が構えられ東海道を往来する旅人を改め、吉原湊から対岸の前田まで船渡しをしていました。その後、南北朝から戦国時代になると吉原湊が軍事的、商業的に重要視されこの見附には道者商人問屋も置かれ、宿場・港町としての機能を合わせ持つようになりました。しかし、この地は湊からの高波や、砂丘からの漂砂の害がひどく、天文年間(1532~1554)に今の鈴川、今井地区へ所替えし、まもなく吉原と改名され東西の旅人で繁栄しました。慶長6年(1606)に至り、徳川家康によって東海道駅伝制が敷かれ、吉原宿として指定されました。しかし、この地も寛永16年(1639)に度重なる漂砂や高波の被害で依田橋村西方に所替えになりました。(案内版)
阿字神社里宮
阿字神社は天正の頃の昔、三ツ股淵の毒蛇に人身供養として進んでその身を奉げた人々の難儀を救おうとした少女阿字と善竜と化した八大竜王をこの地を守る水徳の神として祀ったものである。その里宮はその水徳があまねく田子の浦港並びにその周辺にまで及ぶことを祈念して港口の清祥なるこの地に社殿を建立し、その地下に般若心経の経石を埋め、神池は竜王の住む心字池として阿字神と竜王の聖地としたものである。
(鈴川地区管理委員会)
by Twalking | 2013-10-21 17:27 | 東海道(新規)