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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり豊橋   

日時 2014.10.18(土)
天気 晴れ


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路面電車/国道1号

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豊橋駅                           駅前大通り




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朝の豊川/豊橋公園・いまばしゆうほどう

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豊橋祭が開催されてました/豊橋公園



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吉田神社参道


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資料ファイル

番外 ぶらり豊橋_d0183387_23512622.jpg吉田大橋記
吉田城址に近いこの吉田大橋はもと東海道旧大橋の一つと云われ、幕府直営の橋であった。この橋は元亀元年酒井忠次が始めて関屋口に架け、それを天正19年池田輝政が城を拡張するとき、下流の船町に移し以後300年余その地にあった。今下流にある鉄橋はその名残である。昭和34年国道改修に当たり旧位置に近いここに最新式の橋が完成し、旧名をとり吉田大橋と名をつけられた。(碑文)



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吉田神社
古くは天王社・牛頭天王・吉田天王社と称した古社で、スサノオノミコトをお祀りし、多くの武将たちから崇拝を受けました。その中でも源頼朝が深く崇拝したことから、頼朝公の行列を再現した神輿渡御(みこしとぎょ)が天王祭として誕生したのが、豊橋祇園祭の始まりです。本祭となる神輿渡御の前夜祭として盛んになったのが、江戸時代ごく限られた地域だけに扱いを許された黒色火薬を使った花火の放揚です。神社に残る文献によると、永禄元年(1558)に今川義元の吉田城代、大原備前守の吉田神社への奉納に始まるとあり、このことが「手筒花火発祥之地」と言われる所以です。また打上花火についても、これほどの市街地で打ち上げられる花火は、他には類を見ません。花火業者に混じって打上作業に従事するのは、この日の為に講習に参加し、資格を受けた氏子青年達。伝統の花火を受け継ぐ努力が続いています。7月第3金曜日に手筒の奉納があります。(豊橋観光コンベンション協会)



番外 ぶらり豊橋_d0183387_00380811.jpg豊橋鉄道東田本線
全線が併用軌道の路面電車である。市内線、市電(市内電車の意味)とも呼ばれて親しまれている。1970年代、各地で路面電車の縮小・廃止が相次ぎ、豊橋鉄道でも新川から分岐していた柳生橋支線を廃止するなどしたが、当路線では1982年(昭和57年)に井原 - 運動公園前間を開業した。その後、1998年(平成10年)に駅前停留場の移設による路線延長が行われた。路面電車が環境負荷の少ない交通機関として見直され、各地で新設・延伸が計画されながらも構想段階にとどまるものが多い中、珍しい例と言える。札木 - 東八町間では、日本に現存する路面電車で唯一国道1号線上を走行する。また井原の分岐点には、鉄道路線としては日本一急な半径11mのカーブがある。このため一部車両はこの区間を通過することができず、車両の運行制限がある。(Wikipedia)

by Twalking | 2014-10-20 23:28 | 東海道(新規)

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