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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大山街道(8)相州大山01 女坂   

日時 2016.4.30(土)
天気 晴れ後曇り


GW、好天に恵まれて大山に登ります。
大山は何回か登っていますので、感じは分かります。
ただ、久し振りの山登り、のんびりと行こうと思います。

まず、茶湯寺へ、ほとんどの方は素通りですね。
こちらも初めてですが、静かでいいお寺さんです。
ルートは女坂、歳を考えたら正解でしょうね~・・・。


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天気は上々、あの頂きを目指します/大山バス停 


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こんな感じだったんでしょうか、がんばりましょ~う/バスロータリー



・・・コマ参道

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コマ参道
大小のコマの絵が踊り場の数を示している。この参道脇には、コマを挽く「木地師」の店が並んでいる。(大山観光青年専業者研究会)


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かながわ古道50選・大山宿坊街
昔、関東各地から大山参り、石尊詣での人々がわらじを踏みしめた古道は、その一端が大山に通じるものは皆大山街道と呼ばれた。平成6年の「かながわの古道50選」には大山街道が7ヶ所も選ばれて、そのどれもが合流するのが阿夫利神社大山寺の門前町「大山道宿坊街」である。ここには各地の大山講と深い関係いある石の玉垣を巡らした先導師(御師)の旅館と土産店、茶店等が石段の両側に昔風の町並みを残している(伊勢原ロータリークラブ)


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茶湯寺(ちゃとうでら・涅槃寺)
本尊は釈迦涅槃像で、百一日参りで有名である。茶湯供養をした跡、不思議と故人によく似た人に会うか、似た声を聞くという言い伝えがある。みどころマップ・川崎国道


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_02041498.jpg木造釈迦涅槃像 
像長164.5cm。釈迦が涅槃に入った(亡くなった)時の様子を表し、右手を枕にして横臥する等身大の涅槃釈迦像です。彫刻としては、槃像は日本では少なく貴重な作といえます。造像技法はいくつかの木を合わせた寄木造です。頭部は前後で矧(は)ぎ首の部分を体部に差し込んでいます。体部は前後左右で四材を矧ぎ右腕となる二材を矧ぎ付けています。江戸時代の作です。また、体内に納められていた木札の記録から明治9年(1877)に修理されていたことがわかりました。
(伊勢原市教育委員会)


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_00493491.jpg百一日参りの由来

亡くなられた方の霊は49日まで其の家の棟の下にいて、50日めから黄泉路の旅へ出発します。残された家族が49日に菩提寺に上げる49個のおもちを一日一日のお弁当とし、家族の方が毎日お佛壇にそなえるお水でのどをうるおし、百ヶ日めに極楽の門に至り佛様に成られます。百一日は佛様と成られた故き人が、御先祖様の仲間入りの為に我が家へ帰る日であり、家族の方は故き人が無事に成佛したお礼詣りに大山茶湯寺へ参拝しますが、それを知っている佛様は茶湯寺の石段で家族の来山を待っているといわれます。大山の茶湯寺は開山以来九百年の傳燈を継承する秘法百一日茶湯供養を奉修しますが、此の日供養したお茶がそれまでのお水にかわって新しい佛様に御先祖様と同じようにお茶湯する、お佛壇の最初のお茶になるわけです。茶湯寺参りの道すがら又帰り道によくにた人に逢えるとか聲を聞くとかいわれるのは、茶湯寺の石段で待っていた故人の霊の喜びの表現かも知れません。(誓正山茶湯殿涅槃寺)


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_02042137.jpgわらべじぞうさま

この「わらべじぞうさま」は信心する人々だけではなく無信心の人でも「おじぞうさま」のお姿を見て微笑み頭をなでたりからだにさわりたいと思い一時的にもいやな事を忘れて無心になることも一つの信心と思い今日迄の尊像にとらわれずにこのユーモラスな童の姿{わらべじぞうさま」を製作した。(茶湯寺 吉永広旭 石仏師 國廣秀峯)



・・・女坂

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ここが女坂と男坂の分岐、八意志兼神社があります


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女坂                    男坂


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_15480774.jpg八意志兼神社
(やつごごろおいかね)
右が男坂、左が女坂と分かれているところから追分社ともいう。祭神は思兼神で、記紀神話の高皇産霊神の子である。(みどころマップ・川崎国道)

オモイカネ
日本神話に登場する知恵を司る神である。最も有名な話では岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている。名前の「おもひ」は「思慮」、「かね」は「兼ね備える」の意味で「数多の人々の持つ思慮を一柱で兼ね備える神」の意である。「八意」(やごころ)は多くの知恵という意味であり、また立場を変えて思い考えることを意味する。Wikipedia



大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_16172342.jpg女坂の七不思議①弘法の水

「弘法の持霊水」ともいい、弘法大師が岩に杖を突いたら、その跡から清水がこんこんと湧き出たという。夏でも枯れることがなく、いつでも水の量が変わらないという。(大山観光青年専業者研究会)


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紅葉橋


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_15540407.jpg女坂の七不思議子育て地蔵
最初は普通のお地蔵様として安置されたが何時の頃からか顔が童(わらべ)に変わっていた。この地蔵に祈ると子供がすくすくと丈夫に育つといわれる。(大山観光青年専業者研究会)



大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_15541178.jpg女坂の七不思議爪切り地蔵
弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えである。(大山観光青年専業者研究会)


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_16073977.jpg女坂の七不思議逆さ菩提樹
上が太くて下が細く逆さに生えたように見えることから逆さ菩提樹という。現在は二代目である。(大山観光青年専業者研究会)








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宝珠山来迎院


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_16094474.jpg龍神堂(八大堂)
元は二重滝にあり、寛永18年(1461)に再建、三代将軍の徳川家光公により寄進される。奈良時代に、大山寺別当の良辨僧正が大山龍神を感得す。以後、八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊なり。~数々の龍神伝説あり~(青専研)


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雨降山大山寺(おおやまでら)

天平勝宝7(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開山した。本尊は願行上人が文永年間(1274)に鋳造した鉄の不動明王である。(みどころマップ・川崎国道

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大山寺
 真言宗大覚寺派
昔から「大山不動さん」と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい、天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の孝養のために建てたといわれる。赤子の時、大鷲にさらわれた良弁を探して、日本国中を尋ね廻った父母が、盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王のみちびきで、親子の再会が出来たと、大山寺縁起絵巻に書かれている。良弁に帰依深かった聖武天皇は、良弁親子の再会に強く感動され大山寺を勅願寺とされた。寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護をうけその都度再建された。本尊不動明王・矜迦羅(こんがら)童子・制吁迦(せいたか)童子の三体は珍しい鉄像で、鎌倉時代(1270年頃)大山寺中興の祖・願行上人作と伝えられ国の重要文化財である。他に平安前期(782897)の木像不動像をはじめ多くの仏像がある。この寺はかつて、日本古来の預言者から発展した山岳宗教の「修験道」の道場で、大山不動信仰を世に広めたのはこの修験者たちであった。今でもその象徴である天狗の面が土産店で売られている。庶民が期待する大山不動尊信仰の特別の冥加は農・漁・商・工・職人・技芸人等多くの人々の間で、その子供たちが親の職業を立派に引き継ぎ栄えるよう加護を受けることであった。(伊勢原ライオンズクラブ)


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_18171025.png鉄造不動明王及二童子像

大山寺の本尊で、不動明王像を中心に向かってに矜羯羅童子像、左に制吒迦童子像を両脇侍像とする三尊像である。不動明王像は髪を総髪にして左肩に弁髪を垂らし、右手に宝剣、左手に羂索を持って座り、顔は両眼を見開き上の歯で下唇を噛んで忿怒の相をしている。像高97.7cm。両脇侍の童子は、矜羯羅童子像が左手に蓮の華、右手に独鈷を持ち、制吒迦童子像が左手で肩布を握り、右手に宝棒を持って立っている。像高、矜羯羅童子像96cm、制吒迦童子像95.4cm。三尊像とも強く張った頬や量感溢れて力強い体躯を持つ、鎌倉時代中期の作である。鉄で鋳られている「鉄仏」は主として東国で鎌倉時代以降に造立されるようになるが、この三尊像は日本の「鉄仏」の中でも最も大きく、最もすぐれた作例である。現在、本堂奥の奉安殿に安置されている。(伊勢原市教育委員会・国指定重要文化財

木造不動明王座像

本堂向かって左の護摩壇の本尊として安置されている。五大明王像の中尊像である。寄木造り、彫眼、本来は彩色されていたと思われる。髪や持物、顔の表情などの姿は大山寺の本尊・鉄造不動明王像と同様である。丸みのある頬は忿怒の相にしては穏やかであり、柔らかな衣の襞の表現とともにこの像が平安時代後期の作であることを示している。県内では数少ない平安時代の不動明王像である。像高49.6cm。(伊勢原市教育委員会・県指定重要文化財


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_17200220.jpg青銅宝篋印塔 作者:東都鋳師・西村和泉守藤原政時
塔の由来
宝篋印塔は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼教」に依って建立するものなり教に曰く「若し人福を求めて此塔の所に至って、一華一香を以て禮拝供養し右に廻って行道せば、是の功徳に由って官位栄耀求めざるに自ら至り、寿命冨饒祈らざるに自ら増し怨家盗賊討たざるに自ら敗れ、疫病邪気払わざるに自ら避け善夫良婦求めざるに自ら得る 賢男善女祈らざるに自ら生じ一切の所願意に任せて満足せんと」登山参拝の善男善女は、この天下無双の霊塔の前に虔んで禮拝し、塔の回りを右に三遍お廻りなさい 真言宗雨降山・大山不動尊 阿部利山 大山寺主監謹白
(塔の大きさ)地盤:二丈五尺 台:七尺四寸青銅塔:二丈八尺、総高さ三丈五尺四寸勧進元:供僧坊廣徳院憲海房が寛政7年(1795)旧大山寺境内(現下社)に新建立、大正3年現境内に再建、大地震で上部が倒壊、大正十五年に復元す


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_18300004.jpg女坂の七不思議⑤無明橋
話をしながら通ると、橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、悪い事が起きたりするという。(大山観光青年専業者研究会)



大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_18213735.jpg芭蕉句碑  
山寒し 心の底や 水の月 芭蕉







大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_18214076.jpg女坂の不思議⑥潮音洞
洞(ほこら)に近づいて心を鎮め耳を澄ませると遠い潮騒が聞こえるという。この洞の中にどのような神秘が隠されているのであろうか?(大山観光青年専業者研究会)



大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_18214468.jpg女坂の七不思議眼形石(めがたいし)
人の眼の形をしたこの石に、手を触れてお祈りすれば、不思議に眼の病が治ると言い伝えられている。(
大山観光青年専業者研究会)




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女坂・男坂合流地

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階段を上ると下社拝殿です/下社茶店


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伊勢原ハイキングコース案内図


大山街道(8)相州大山01 女坂_d0183387_19261170.jpg大山の地形図Wikipedia

大山
伊勢原市・秦野市・厚木市境にある標高1252mの山である。丹沢山などの丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、神奈川県有数の観光地のひとつである。大山は丹沢表尾根の東端にあり、富士山のような三角形の美しい山容から、古くから庶民の山岳信仰の対象とされた(大山信仰)。「大山」の名称は、山頂に大山祗神(おおやまつみのかみ)を祀ったためとされるが、大山祇神はかつては「石尊大権現」と呼ばれていた。大山の山頂には巨大な岩石を御神体(磐座)として祀った阿夫利神社の本社(上社)があり、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っている。また、大山は別名を「阿夫利(あふり)山」、「雨降(あふ)り山」ともいい、大山および阿夫利神社は雨乞いの神ともされ、農民の信仰を集めた。江戸時代の中ごろ(18世紀後半)から、大山御師(明治以降は先導師)の布教活動により「大山講」が組織化され、庶民は盛んに「大山参り」を行った。各地から大山に通じる大山道や大山道標が開かれ、大山の麓には宿坊等を擁する門前町が栄えることとなった。大山では、天狗信仰も盛んであり、阿夫利神社には大天狗、小天狗の祠がある。大山には日本の八天狗に数えられた大山伯耆坊が伝わっている。元々は伯耆大山(ほうきだいせん)の天狗であり、相模大山の相模坊が崇徳上皇の霊を慰めるために四国の白峯に行ってしまったために、相模大山に移り、富士講の人々に信仰されたという。現在でも阿夫利神社の下社の近くに伯耆坊の石碑があり、大山寺の側には伯耆坊を祀った祠がある。Wikipedia


by Twalking | 2016-05-02 19:27 | 大山街道(新規)

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