貝取山緑地/多摩市
天気 晴れ
乞田十字路から貝取山、恵泉裏への鎌倉古道は
ニュータウン造成ではほぼ消滅していますが、
この舌状に伸びた尾根がそうだろうと思われます。
現在、ここは「貝取さんぽみち」が通っていて、
「鎌倉古道」の標識もあり、凡そは追うことができます。
いつもの散歩道ですが、参照として記録しておきます。
・・・貝取山緑地
貝取
古くより貝取村として村を形成していた。貝取は後に南多摩郡多摩村の大字となり、現在よりも広い領域を示す地名であったが、急激な人口増加により多摩村から多摩町を経て多摩市となり多摩ニュータウン開発以降の地番整理施行後も名称が継承されている。当地は多摩市南部に位置するが、多摩ニュータウン開発によって造成完了の後、その第7住区として地番整理をなした新生貝取においては、東隣に位置する永山と西隣に位置する豊ヶ岡と独立した住区を形成し、各々が幹線道路の「鎌倉街道」と「貝取大通り」を境にして、互いに南北2kmほどの縦に細長い領域範囲で区切られている。北端に位置する「貝取山緑地」から南端の「尾根幹線道路」に至る延長の長い歩行者専用道路「貝取さんぽ道」他が施され、沿道の住民はこの道路を通じて学校や公園、「近隣センター」等に安全・快適に行き来することができる。(Wikipedia)
森を楽しむみなさんへ
貝取山緑地はかつての多摩丘陵の森の一部を保全し、森の姿を観察できるふるさとの森として計画・整備されたものです。この森は昔からのクス・スギ・コナラ林を基調として、シダ植物以上の高等植物が約290種、新規の栽培植物が約90種、合計220種ほどがあります。中にはこんな所にたった1株といった植物もありますので、森に立ち入る時はむやみに踏まない、荒らさない心づかいで郷土の森、美しい森づくりにご協力ください。(多摩市)
貝取山の土壌と植生
貝取山の表層土は富士山の火山灰である関東ロームによって覆われています。森を構成する植物はその場所の土壌や地形、あるいは昔から人の働きかけなどのもとで、植物なりに住み分けています。貝取山では尾根の土壌の乾燥しやすい所にはアカマツやイヌツゲ、アセビなどが生育し、緩斜面には薪炭林としてクヌギ-コナラの林がつくられ、急斜面には地形の崩壊を防ぐモウソウチク林がつくられてきました。また、斜面の下の崩落土の所には湿潤地に適したスギやミズキが残っています。また山裾にはかつての集落の屋敷林や果樹うあ花木を混えた林となっています。(多摩市)
大福寺(多摩13仏霊場6番・曹洞宗)/貝取
貝取にあるため山号も貝取山といい、本堂よりも古い地蔵堂には等身大の地蔵菩薩がまつられている。境内全体の雰囲気がここちよい。御本尊は華厳釈迦牟尼物。(多摩仏教会)
弥勒菩薩 六地蔵
13仏造顕
今日の日本の平和のかげには大戦による多くの犠牲者があったことを我々は忘れてはなりません。平成6年はその大戦より50回忌に正当致します。多摩仏教会ではこの50回忌を追福供養し、世界の平和と繁栄を祈念してここに13仏を造顕し、左記の寺院に各一条を請来し、永く伝えるものとします。(説明板)
麦花塚(ばっかつか)/合流地先
高さ125cmの石碑です。表に貝取出身の麦花という家人の和歌などが、裏には漢詩2編と多摩・町田市域の歌人30名の和歌が刻まれている。明治14年(1881)年に麦歌自身が彫刻し、建てたものである。麦歌は本名を浜田助左衛門といい、貝取村で「乞田鍛冶」の屋号を持ち刀鍛冶をするかたわら、和歌・俳句を好んでいたという。明治初期における村内の文芸活動を知ることが出来る貴重な資料である。
地蔵菩薩像・阿弥陀如来像・庚申塔
地蔵菩薩像(左)は寛文8(1668)年のもので、高さ130cm。年号の他に「武州柚木郡宇龍村動向17人」の銘文が刻まれている。市内でも2番目に古い地蔵石仏である。
阿弥陀如来像(右)は寛文13年(1673)のもので、高さ80cm。年号の他に「武州多磨郡乞田宇龍村 奉造寒念併同行8人 願主安斎」の銘文が刻まれている。市内で最も古い阿弥陀如来石仏である。
庚申塔は宝永2(1705)年のもので、高さ52cm。三猿の上に青面金剛が彫られている。年号の他に「武州柚木領瓜生村同行」の銘文が刻まれている。いずれも江戸時代前期頃の民間信仰を示す貴重な資料である。麦花塚と庚申塔は元はここから300mほど南の鎌倉街道沿いにあったものであるが、土地区画整理事業に伴い平成元年10月に現在地に移転した。(多摩市教育委員会)
・・・貝取さんぽ道
東京都道18号府中町田線
府中市(起点:旧甲州街道)より多摩市を経て町田市(終点:世田谷町田線・菅原神社前)へ至る都道(主要地方道)である。ほとんどの区間で鎌倉街道上ノ道(鎌倉古道)に並行している。町田市小野路町-野津田町間を結ぶ綾部原トンネルの完成により、野津田町内で約300mにわたって新道が開通し、距離の短縮と周辺道路の混雑緩和が実現した。(Wikipedia)
南多摩尾根幹線
略称は「尾根幹線」「尾根幹」。多摩ニュータウンの南端の道路で、北端にある多摩ニュータウン通りとともに多摩ニュータウンを東西に通る総延長約17km弱の幹線道路である。多摩地区における広域交通ネットワークの東西の交通網となるべく計画された。調布市の多摩川原橋(川崎街道)の交点から町田市小山町の町田街道の交点を結んでいる。尾根幹線のすぐ南の尾根筋には「よこやまの道」と名付けられた全長10kmの遊歩道も整備されている。(Wikipedia)
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資料ファイル
多摩市のジオラマ
(赤:鎌倉古道 橙:旧鎌倉街道 青:乞田川 黄角:貝取山の凡そを入れてみました)
(赤:鎌倉古道 橙:現鎌倉街道 青:乞田川)
パルテノン多摩歴史ミュージアムの関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/13044113/)
by Twalking | 2016-07-20 09:48 | 鎌倉街道(新規)