無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩の寺社巡り(7) 連光寺02   

日時 2016.7.31(日)
天気 曇り


大松山にある記念館への道は幾通りかあります。
大谷戸公園・桜ヶ丘公園を繋ぐ散策路、これもいいですよ。
記念館通りは急坂なので夕日の丘で一休みでしょうか。

この周辺だけでも十分に楽しめますが、折り返して
記念館から市境の尾根道を諏訪方面へ。
都道ですが、この尾根道は眺めが抜群です。

一応、多摩の古道(推定)と搦めて市内の寺社を廻りました。
まだまだ知らない所が沢山ありあるな・・、と感じます。
また、季節を変えて歩いてみたいと思います。



・・・向ノ岡(むかいのおか)

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丘の風景①連光寺坂の右手が記念館のある大松山、旧道が合流します/桜橋


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下り桜ヶ丘方面・向ノ岡大橋           川崎街道に架かる桜橋

東京都道41号 稲城日野線

稲城市大丸から日野市日野本町1丁目の川崎街道入口交差点に至る主要地方道である。通称「川崎街道」ともよばれる。Wikipedia


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対鴎台公園


d0183387_16253078.jpg対鴎台公園の由来について
この公園のある連光寺一帯は向ノ岡と呼ばれ、明治天皇が兎狩や鮎漁に訪れた地です。明治天皇の行幸を記念して、昭和5年には現在の都立桜ヶ丘公園内に多摩聖蹟記念館が建設され、その前年に明治天皇にゆかりの深い建物として隅田川河畔の橋場(台東区白髭橋北詰)にあった対鴎荘がこの地に移築されました。対鴎荘は、幕末から明治の有力政治家であった三条実美が明治6年に建てた別荘で、岩倉具視から寄贈された茶室「松華洞」もありました。明治天皇は「征韓論」をめぐる政争で病に倒れた三条実美を見舞いに橋場の対鴎荘を訪れています。昭和4にこの地に移築された対鴎荘には、戦前に多くの観光客などが訪れましたが、戦後になると飲食店として利用され、昭和63に土地開発のため取り壊されました。現在は復元模型が作られ旧多摩聖蹟記念館で見ることができます。「対鴎台公園」の名称は対鴎荘のあった高台という意味で付けられました。また、この公園から東側、現在の向ノ岡桜橋に向かう道路沿いには古歌に詠まれた向ノ岡として、江戸時代の末期には桜の木が多数植えられました。大正から昭和初期にかけては、草競馬が開催されたことから「桜馬場」と呼ばれていました。付近には桜楽軒という茶屋も設けられ、戦前には花見時に都会から多くの来遊者も訪れて、大いに賑わっていました。(多摩市教育委員会)

d0183387_16351388.jpg公園入口に馬頭観音(天保7年・1836建立)と庚申塔








d0183387_16424387.jpg小野小町歌碑
この歌は『新勅撰和歌集』巻19(藤原定家撰、文暦2年=1235年完成)に収められている小野小町の和歌です。小野小町は平安時代前期・9世紀頃の女流歌人で、六歌仙(平安時代を代表する六人の歌人。小野小町・在原業平(なりひら)・僧正遍昭(そうじょうへんじょう)・大伴黒主(くろぬし)・文屋康秀・喜撰法師(きせん)をいう)の一人として知られています。和歌は、彼女が父を尋ねてみちのくに行く途中に武蔵野の向ノ丘(むかいのおか)を詠んだものと伝えられています。碑は昭和15(1940)秋、わかもと製薬株式会社・社長の長尾欣弥(きんや)が揮毫し建てたものです。

題しら須 小野こま遅 武蔵 能ノ むかひの遠農 具佐なれ盤 ねを尋ねて毛 あはれと所 於裳ふ 昭和庚辰秋 長尾欣彌書倂建之

題しらず 小野小町 武蔵野の 向(むかひ)の岡(おか)の草 なれば 根を尋(たず)ねても (あは)れとぞ 思ふ 昭和庚辰(かのえたつ)秋 長尾欣彌書並びに之を建つ (多摩市教育委員会)


d0183387_16501639.jpg向ノ岡御野立所碑
(碑文正面)「向ノ岡御野立 伯爵田中遜謹書」
(碑文裏面)「この地は武蔵野の旧蹟にして往時鎌倉及京都への要路に当たり 北方一帯に展開するは勤皇史上有名なる分倍河原の古戦場なり 明治天皇明治14220日 同15215日及16日 同17329日及卅日御兎狩行幸の際 御野立在らせられたる所也」 皇紀2600年奉祝式典之日 奉建伯爵田中遜(説明)明治天皇が兎狩に行幸のおり休憩された場所である。昭和15年(1940)紀元2600年を記念して建立されたものである。

d0183387_16502031.jpg御駒桜碑

(碑文正面)明治天皇明治14220日 同15215日及16日 同17329日及卅日御兎狩行幸の際 御料馬金華山を繋がせ給いし桜樹なり 皇紀2600年奉祝式典之日 奉建伯爵田中遜
(碑文裏面)東京雑司ヶ谷 新井石材店謹刻
(説明) 明治天皇行幸のとき愛馬を繋いだ桜樹に、天皇のお側に仕えた藤波言忠がのちに「みこまざくら」と命名したが、その桜樹は現存しない。昭和15年(1940)紀元2600年を記念して建立されたものである。(多摩史談会)



・・・記念館通り(連光寺)

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旧川崎街道から記念館通りを上ります/若宮八幡前


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丘の風景② 聖蹟桜ヶ丘&多摩川方向が一望できます/夕陽の丘


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記念館への入口に建つ石仏       記念館の道


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旧多摩聖蹟記念館/桜ヶ丘公園


旧多摩聖蹟記念館
明治時代、明治天皇が30歳の頃ここ連光寺の山や多摩川の兎狩りや鮎漁を行うため4回ほど訪れました。時の天皇が行幸された地を「聖蹟」と呼び、全国的に多くの記念碑がみられます。この記念館は昭和5年(1930)に明治天皇の偉業を讃えるため、元内大臣田中光顕(みつあき)が中心となり当時の人々による土地の寄付や工事の協力などによって建設されました。「聖蹟桜ヶ丘」という駅名はこの建物の名前をもとにつけられたものです。この建物を設計した関根要太郎は20世紀初頭にヨーロッパでおこった建築革新を目指す運動に関心を持った建築家といわれています。大正末期から昭和初頭にかけての日本の近代建築は鉄筋コンクリート構造の急速な普及に加え、外観のデザインとして欧米の古典主義的なものからモダンデザインのものまでさまざまな様式の影響を受けた建物がみられます。この記念館はオーストリアで起こったセセツションとドイツのユーゲントシュテイルと呼ばれる建機デザインの影響をみることができます。数少ない多摩地域の近代洋風建築の中でも完成度が高い、最も優れたものであります。このような貴重な建築作品であることから、文化財保護の目的に沿って保存・活用を図るためギャラリーとしても利用いただくことができます。(多摩市教育委員会)


d0183387_17460355.jpg五賢堂
1968年(昭和48年)明治維新100周年を祝して全国的に記念行事が行われました。当時、多摩聖跡記念館を管理・運営していた財)多摩聖跡記念会でも、維新の志士を顕彰する目的で「五賢堂」を建設することにしました。「五賢」とは明治維新に功績のあった五人の志士(三条実美、岩倉具視、木戸孝充、大久保利通、西郷隆盛)を言います。五賢堂は神奈川県大磯の元総理大臣吉田茂邸にもありますが、西郷隆盛の代わりに伊藤博文が数えられています。西郷隆盛は西南戦争で朝敵とされましたが、吉田茂のすすめもあって五賢に数えられたとされます。1968年(昭和43年)113日に建設式典が行われ、小金丸幾久が制作した五賢のブロンズ製胸像が安置されました。なお、明治天皇の立像も小金丸幾久が同時期に作成したものですが、初代は記念館内に置かれており、1986年(昭和61年)の改修工事の際に五賢堂内に移されました。(説明板)


d0183387_17475060.jpg歌碑
明治天皇は1884年(明治17年)の臨幸の際、狩場を跋渉したとき谷間から鶯の一声が聞こえそぞろに心を動かし「春深き山の林にきこゆなり今日を待ちけむ鶯の声」と詠んだ。皇后(昭憲皇太后)は「春もまだ寒きみやまの鶯はみゆきまちてや鳴きはじめけむ」「兎とる網にも雪のかかる日にぬれしみけしを思ひこそやれ」と詠み、これら3首の碑が建てられたものである。碑材は小豆島産の花崗岩、文字は田中光顕の揮毫にかかる。
Wikipedia


・・・市境の尾根道

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多摩と稲城の市境の尾根道を西へ/連光寺公園前

上麻生連光寺線

川崎市麻生区(柿生交差点)から、稲城市を経て多摩市連光寺(連光寺坂上交差点)に至る一般県道・都道である。Wikipedia

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米軍多摩ゴルフ場           東部地蔵前



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成満寺山門

不動山成満寺(真宗大谷派)/連光寺
成満寺洪鐘は江戸時代に「時の鐘」として指定され、時を報ずる「二番鐘」であった。大正12年関東大震災により鐘楼堂は破損焼失し、洪鐘のみ残存した。昭和36年赤坂の寺地移転を機に当地に保存している。御本尊は阿弥陀如来。(多摩仏教会)

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本堂                 洪鐘

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ゴルフ場が借景にとはまた珍しい/米軍多摩ゴルフ場


d0183387_21571022.jpg光地蔵尊再造顕之碑

此処連光寺安置致す大地蔵尊は光地蔵尊と称す。此の地蔵尊、昭和天皇が御世に此の地連光寺の土中より出土す。当時の連光寺世話人如何対処すべきか相談、故あって此の地に出土したのであろうから此の地に祭るべしと。鑑みると連光寺地区菩提寺、府中称名寺第60世住職・孝道大上人に地蔵尊の呼称を依頼、上人曰く連光寺の衆生に地蔵尊の徳が限りなく行き渡るよう「光地蔵尊」と称すべしと。鎮座幾星陵時が流れ平成23311日2時46分に東日本大震災発生、当地も激しい揺れにみまわれる。此の地被害最小鳴れどもこの時、光地蔵尊此の災難一身に受難損傷、是連光寺地区衆生への身代わり救済の徳なり、故に誰一人として怪我人なし。その徳に報うべきと再造顕を決意し、浄財を連光寺地区信者一同より集め、平成2310月吉日に称名寺第61世明道上人導師にお迎えし知像尊開眼供養を盛大す。是より恒久に再度連光寺地区の平和安寧を光地蔵尊に祈念するものである。(説明板)


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白山神社山門

白山神社/連光寺
祭伊神:邪那岐命、伊邪那美命、白山比咩尊
当神社の創立は寛永3年(1626928日鎮座である、御神体は延宝8年(1680)に奉遷したものであるが、現在の神社は安政4年(185711月に再建奉遷したものである。本殿の御厨子は棟梁源忠行という名匠の作で、唯一の傑作として界わいの宮師が拝観したということで有名である。(東京都神社名鑑)

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拝殿                 境内

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社丘の風景③ 右手が桜ヶ丘公園、眼下に聖ヶ丘方面が一望できます/天王森手前


d0183387_22113498.jpg天王森の由来碑

この地は東京都多摩市連光寺にありて、多摩市の一番東に位置し標高162mで多摩市で一番高いところであり、万葉集の昔より多摩の横山と呼ばれ南西に丹沢、西に富士、北に御嶽男体山を望み、北東に筑波山があり眼下に絹の如く流れる多摩川を望み関東の連山ことごとく、この地に集まるが如しと万葉の昔に詠まれた詠み人知らずの文があると言われております。東に日本国の首都東京があり、江戸時代から明治にかけて東京に変わる姿を長い間視てきた森であり、昭和の初年頃までは横浜市も高い建物もなく海でさざ波が又、船の出入りも見えたと言われており、誠に風光明媚の土地であります。この土地は2400㎡あり古来より当地域の一番辰巳に居住を構えた屋号が向原と呼ぶ家の土地であり地続きであった。その昔、京都市東山区に鎮座している八坂神社別名天王様は村で屋号は向原と呼ぶ家の屋敷内に鎮座しており、江戸時代末期に京都市東山区の八坂大神様の御使者が向原家に参り、天王様が村で一番高い所に社殿を構えたいと望まれ、願いを聞けば当家は何代かは安泰に暮らせると言われて、現在地の天王の森に向原家で個人自費で社殿を新築し御遷宮をしたと、私共の家では御先祖様より言い伝えられており現在に至っております・・・・。(碑文)

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八坂神社鳥居

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拝殿と明治天皇野立所碑        参道


・・・
聖ヶ丘

旧大字連光寺丘陵部の山林高台に多摩ニュータウンの第4住区として造成され、1984年に入居を開始した新住宅市街地開発事業区域である。「聖ヶ丘遊歩道」が住宅地を南北に貫いており、南に配置した「多摩東公園」「馬引沢南公園」から北に配置した「大谷戸公園」までを結ぶ。4丁目にある「多摩大学」および付属高校に隣接して多摩市における最高標高地点となる「天王森公園」(東京100景)があり、ここからはスタジオジブリ作品のアニメ『耳をすませば』の舞台桜ケ丘や富士山を眺望することができる。Wikipedia


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手前に多摩大学、先右に連光寺配水場、左はみはらし広場です/坂浜聖ヶ丘橋


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丘の風景④ 南斜面の若葉台方面の景観です/みはらし緑地(稲城市)


d0183387_22461076.jpgみはらし緑地

稲城市若葉台にある市立の公園。多摩市との境界線に接している。2004年(平成16年)に完成した。公園は周囲の土地より高く(標高約150m)丘のようになっているため、東側は稲城市の若葉台地区を見下ろすことができ、西側は多摩市を見下ろすことができる。天気が良く空気の澄んだ日にはよみうりランドの観覧車や新宿副都心の高層建築物群、池袋のサンシャイン60、六本木ヒルズ、東京タワーなどの遠景を見渡すことができる。さらに横浜みなとみらい21のラウンドマークタワーや横浜ベイブリッジを見ることができる。Wikipedia

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連行寺5・6丁目数編マップ


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丘の風景⑤「よこやまのみち」起点から振り返る聖ヶ丘方面の景観です/丘の上広場(諏訪)


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「よこやまのみち」を南野へ向かいます/丘の上広場

よこやまのみち(丘の上広場~一本杉公園)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/19491695/


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妙櫻寺本堂


妙櫻寺(日蓮宗)/南野

「日本一の智者となし給え」と日蓮大聖人出家、幼少の頃願かけの虚空蔵菩薩。大願成就の大平山三吉坊を安置し、山号を大平山と号す。祈祷本尊鬼子母尊神、開運大黒天喜尊天等。昭和5348日開山。御本尊は日蓮宗尊定の大曼荼羅。(多摩仏教会)

d0183387_23515591.jpg多摩十三仏霊場13番虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

虚空孕 (こくうよう) 菩薩ともいう。一切香集世界に住み、福徳と智慧をそなえ、これが無量無辺であたかも虚空のごとく広大無辺であることからこの名称がある。胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院に置かれ、蓮華座に坐し、頭に五智宝冠を戴き、左手には上に如意宝珠を載せた福徳を示す蓮華を持ち、右手には智慧の宝剣を持っている。(コトバンク)





by Twalking | 2016-08-04 20:03 | たまのさんぽ道(新規)

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