無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 浜街道(1)八王子~矢部02 鑓水峠   

日時 2016.10.7(金)
天気 曇り

いつもとは逆コースで「絹の道」を歩きました。
振り返って見る峠の景色、浜街道では随一と言われてます。
同じ景色でも、雑木林が切れて現前に・・・の方がよさそうです。

反対に浜見場のほうは市街地にはなっていますが、
ここから「浜」を眺めて勇んで下ったんでしょうね・・・、
そんな感じが良く分かります。
いずれにしても、この「絹の道」はいいですね~!



・・・鑓水峠

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街道の風景① だらだらとした上り坂の最後は急階段、この上が峠です

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郵便局を直進し、先を左折       片倉第2跨道橋を横断右折/八王子BP

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丘の風景① 絶景です、八王子市街が一望できます/鑓水峠

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大塚山を巻いて行きます        NTTの無線中継塔が建ちます



・・・大塚山公園

八王子市鑓水の北端に位置し、かつての絹の道(神奈川往還)の中継地点であった。標高は213.4m。公園内には1875年に建てられた永泉寺の別院であった道了堂の跡地がある。1963年にこのお堂を管理していた老婆が殺害される事件が起きてからはお堂は荒れ放題となり、1983年、八王子市によってお堂が取り壊され、1990年には大塚山公園として整備された。公園内には道了堂跡をはじめ、石段や石灯籠などが残っている。御殿橋から絹の道碑まで続く1.5km程の絹の道は市の史跡に、このうち絹の道資料館と碑の間にある約1kmの未舗装部分は文化庁の「歴史の道百選」に選定されている。
Wikipedia

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階段下に「絹の道」碑、説明板等が立ちます/大塚山公園入口


絹の道
(市指定史跡)
かつては浜街道(横浜街道)と呼ばれ、八王子から鑓水、原町田を通って横浜へ通じていた。絹の道と呼ばれるようになったのは昭和30年(1955)頃から。安政6年(1859)横浜が開港されると、安価で上質な生糸は重要な輸出品となる。八王子に集められた山梨などからの生糸はこの道を通って横浜へ運ばれ、生糸の流通の仲買で活躍したのが地元鑓水の商人達である。横浜に来航した外国人たちもこの道を通って八王子や高尾山などへ観光に行き、トロイアの遺跡を発掘したとドイツのシュリーマンやイギリスの外交官アーネスト・サトウは記録を残している。絹の道資料館の石塔が立つ別れ道から道了堂入口までの道は当時の面影を残している。(八王子市教育委員会)

d0183387_17284317.jpg絹の道碑
「絹の道」碑は1957年(昭和32年)に故橋本義夫氏が中心となって建立したもので、浜街道を日本のシルクロードとして有名にした記念碑です。正面に「絹の道」、下の台石にほ桑の葉・糸枠・繭の浮き彫りされてます。左側面に「日本養蚕業史蹟」、右側面に「鑓水商人記念」と刻まれています。(馬場喜信著「浜街道」より)




d0183387_18261036.jpg石柱

1882(明治15)年野津田村の人の建立


d0183387_18263593.jpg築礎碑
1880(明治12)年八王子駅糸商の建立





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公園内の景観


d0183387_18360220.jpg石柱
表に「永代御祈祷料 金六拾五円 北多摩郡中神講中」 裏「明治23年(1889)再建」と刻まれている。中神村は今の昭島市です。


d0183387_18361089.jpg延命児育地蔵

1881(明治14)年建立。浅井貞心・渡辺大淳ほか東京呉服町・花川戸、多摩の八王子・中神・五日市の人々が名を連ねている。浅井貞心は渡辺大淳とともに道了堂の創建にたずさわった人です。

d0183387_18360648.jpg石灯籠

浅井貞心・渡辺大淳により1890(明治23年)建立







d0183387_18361726.jpg石碑
1887(明治20)年鑓水の糸商人・大塚五郎吉など30名の寄進したもの。二つに折れていたものを公園の開園に合わせ修復・再建されたものです。


 


d0183387_18465510.jpg大塚山山頂の三角点(213.4m)/奥

大塚山は江戸時代の昔から「十二州見晴らし」と呼ばれて、人々によく知られていた。
大塚山道了堂境内図にも「十二州の内」として筑波山・日光山・浅間山・高尾山・富士山・丹沢山・大山の名が書き込まれている。また、下の枠の絵に横浜及び房州鋸山・三浦三崎・江の島鎌倉・伊豆大島と記されている。(馬場喜信著「浜街道」より)


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道了堂跡

道了堂

鑓水商人の大塚忢郎吉が中心となって峠を通る旅人や村内の安全のために、村でも見晴らしの良い峠の上に、浅草花川戸かから道了尊を勧請して明治7年(1874)に創建したもの。さまざまな経緯を経て、全体が整備されたのは明治10年(1877)で、道了堂建設のいきさつを記した「築礎碑」は明治13年に建てられている。地元の人々の信仰を集めて繁栄したがしだいに荒廃し、昭和58年(1983)に倒壊しかけた堂が撤去され、今は礎石の跡と石の灯篭などがわずかにかつての面影を忍ばせている。(案内板)

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大塚山
道了堂境内絵図

妙覚道了
(みょうかくどうりょう)
室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧。妙覚は字。出生地などについては不詳である。道了大権現・道了薩埵・道了大薩埵・道了尊などとも称される。1394年(応永元年)曹洞宗の僧了庵慧明が最乗寺(南足柄市・曹洞宗)を開創すると、慧明の弟子であった道了はその怪力により寺の創建に助力。師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って天狗となったと伝えられ、最乗寺の守護神として祀られた。庶民の間でも信仰を集めて講が結成された。また、江戸の両国などで出開帳が行われた。Wikipedia



・・・絹の道 

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街道の風景② ここから御殿場橋までが「絹の道」の指定区間です/公園先 

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左手は嫁入り谷戸です         雑木林の土道を下ります

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左は厳行寺谷戸から御殿峠への道、入口に石碑が並びます/鑓水三叉路

d0183387_21173374.jpg鑓水三筋の石仏群

安政6年(1859)の横浜港開港から明治はじめの鉄道の開通まで、八王子近郷はもとより長野・山梨・群馬方面からの輸出用の生糸が、この街道(浜街道)を横浜へと運ばれた。八王子の市にほど近い鑓水には生糸商人が多く輩出し、財力もあって地域的文化も盛んとなり、鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれた。なお、この「絹の道」という名称は地域の研究者が昭和20年代の末に名づけたものである。(八王子市教育委員会)

秋葉大権現の石塔(中央):1814(文化11)年建立。右側面に「榛名山大権現」「金毘羅大権現」左側面には「鎮守御神前」と刻まれている。石塔はこの場所ではなく村の鎮守の境内から移されたもの。
庚申塔(左):寛政10年の建立
百八十八カ所供養塔:年代不詳(四国遍路の八十八ヶ所と西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所を参拝する巡礼)


d0183387_22014712.jpg道路改修記念碑(左)
御殿峠への道の改修工事の完成を記念して1984(昭和59)年に建てられたもの


d0183387_22023231.jpg御大典記念碑(右) 
正面下に「此方鑓水停車場」右側に「此方道了堂八王子市」左側に「此方御殿山」と刻まれている。昭和天皇の即位を記念して1928(昭和3)年に造られました。
大正13年~昭和9年にかけて、今の聖蹟桜ヶ丘辺りから大栗川沿いに神奈川県の津久井までの南津(なんしん)電気鉄道を延ばす計画があり、その鑓水の停車場が御殿橋のそばに予定されていました。計画は実現しませんでしたが、南津電気鉄道のただ一つの記念碑といわれ「停車場の碑」と呼ばれています。(馬場喜信著「浜街道」より)


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街道の風景③ 振り返って見る鑓水峠/絹の道資料館前

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絹の道資料館             一里塚跡

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街道の風景④ たんぼが黄金色、郷も秋の気配です/鑓水


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八王子道道標/御殿橋
この道標は輸出品の花形であった生糸を横浜港へ運ぶ時の道しるべとして慶応元年(1865)に建てられました。当時この道筋には家屋敷が立ち並び、外国人等も往来して大変な賑わいをみせていました。生糸の仲買人として活躍したこの地の商人たちは鑓水商人として、後世にその名を残しています。その姿は道標の正面に描かれています。尚この道標は御殿橋南側にあった旧鑓水公会堂横に建てられていましたが、大栗川の改修工事に伴い、昭和63年に現在の場所に移されました(説明版)


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絹の道ハイキングコースマップ

鑓水周辺の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23489695/



・・・浜見場へ

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街道の風景⑤ 柚木街道から浜見場へ上りますが道は消えています/小泉家住宅前

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小泉家住宅              稲荷神社/板木会館

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丘の風景② 板木谷戸を登ってきました、奥に鑓水峠が望めます/浜街道歩道橋

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浜街道歩道橋             橋の先右手に給水塔

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街道の風景⑥この先を右折しますが、この辺りが浜見場です/小山内裏公園入口

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田端坂を下ります           小山田端自然公園


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田端環状積石遺構/小山町


d0183387_10434777.png田端遺跡
 
境川に面した丘陵裾部一帯に広がる縄文時代中期から晩期(約45002800年前)にかけての集落に、墓地、祭祀遺跡である。昭和43年に周石墓(しゅうせきぼ)、土擴墓(どこうぼ)からなる後期の集団墓地、死と再生に関する祭祀の場と考えられる後期から晩期にかけての環状積石遺構(ストーンサークル)が発見され、昭和46年都史跡に指定された。その後、周辺域の発掘調査により竪穴住居跡などからなる中期から後期の大規模な集落も確認された。現在、整備された範囲内の遺構は、盛土保存され、環状積石遺構の複製が展示してある。(町田市教育委員会)


d0183387_10435096.png町田市田端環状積石遺構(都史跡)
縄文時代後期中頃から晩期中頃 (約35002800年前)に至るまで連続的に構築された遺構である。大小の自然礫を帯状に積み上げ、長軸(東西)約9m、短軸(南北)約7mの楕円形を呈し、ほぼ長軸上に富士山を望む。また冬至には蛭ヶ岳頂部に沈む夕日を観測できる。積石の周辺部には周石墓7基、土擴墓25基、組石6基がある。積石の内部からは石棒、刻線文礫、大珠、玉類、土偶、耳飾、スタンプ形土製品、注口土器、埋甕など、日曜用具以外の特殊遺物が多数発見されており、本地域一帯に住居する集団の宗教的な場であったと考えられる。(町田市教育委員会)


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発掘時の環状遺構           土産墓・周石墓から出土した土器



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資料ファイル

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地形図①鑓水三叉路~浜見場/「八王子」1960年測量(馬場喜信著「浜街道」より)

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地形図②鑓水三叉路~浜見場/「八王子」1990年測量(馬場喜信著「浜街道」より)
(赤:浜街道 緑:16号 橙:柚木街道 青:大栗川)



by Twalking | 2016-10-11 21:47 | 浜街道(完)

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