平間街道(旧池上道)01-池上
天気 晴れ
天気が良さそうなので出かけました。
多摩川を丸子の渡し~平間の渡し辺りで渡り、
下丸子、池上、大森、大井へ向かう古道があります。
平間街道・池上道等と言われる道で、古東海道の
道筋とか、鎌倉の頃は鎌倉道下道のルートのようです。
資料が少ないですが、先ず歩いてみ見ることにしました。
・・・上平間/中原区
川崎市中原区最東端、多摩川とJR南武線に挟まれた地域である。工業地帯と住宅地が混在し平間銀座商店街として商業地も形成されている(Wikipedia)
・・・下丸子/大田区
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・・・千鳥(ちどり)/大田区
1968年までは多くが調布千鳥町と呼ばれていた区域である。町域内の千鳥町駅もそれに因んでいる。千鳥二丁目内で現在短冊状になっている街区には1926年(大正15年)から1934年(昭和9年)まで慶應義塾大学の総合運動施設(新田運動場)があった。15000人収容の野球場(新田球場)を備え東京六大学野球の試合が行われた。運動場が横浜市日吉に移転するとその跡地に住宅街を整備した財団法人同潤会が1939年(昭和14年)に「調布千鳥町住宅」として分譲し現在に至る。また、千鳥町駅は1926年(大正15年)の開業から1935年(昭和10年)末まで駅名が「慶大グラウンド前駅」であった(Wikipedia)
左が池上道、右が奥州古道/ぬめり坂下 六郷用水南北引き分け跡
(赤:旧池上道 橙:平間道 青:六郷用水)
第二京浜を横断 六郷用水の標柱/池上警察横
・・・池上/大田区
大田区内大森地域に属する。東で中央・西蒲田と南で東矢口、西で国道1号(第二京浜)を境に久が原・千鳥・仲池上、北で南馬込と隣接する。池上本願寺の門前町。南北にやや細長い形をしている。南北に池上道が西側に国道1号が通り域内北部を呑川が流れている。(Wikipedia)
徳持神社鳥居/池上
六郷用水は池田屋の西側を流れます 新参道を越えます
六郷用水北堀はここで直進して大森・蒲田方面への流れと、北を上って呑川をわたり新井宿方面へ向かう流れ、南へ下って女塚方面へ向かう流れと三つに分かれていました。ここに設けられた堰はふつうの堰板ではなく、水流方向に直角に八寸角の角材がいけこまれた「八寸の水はかり」と呼ばれた独特のものでこの場所の由来ともなっています(六郷用水物語)
(青:呑川 紺:旧呑川
橙:東海道・中原街道 赤:平間街道・池上道・新田道)
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資料ファイル
武蔵国が東海道に属してからの道筋は平安時代中期の辞書『和名類聚抄』 (わみょうるいじゅうしょう)によって国府の位置、律令の施行細則『延喜式』による駅家の地名から次のように想定されています。武蔵国の国府は府中の大国魂神社付近にあり、武蔵国の駅馬は店屋、小高、大井、豊島の4駅があったとされ、それぞれ現在の町田市鶴間、川崎市高津区、品川区大井に推定されていますが、豊島駅については諸説あって確定されていません。町田市から大山厚木街道(国道246号線)を川崎市宮前区で東に方向を変えて高津区千年で中原街道に合流し、丸子橋付近で多摩川を渡り、品川区大井付近を通っていたと考えられます。しかしながら古代の東海道とされる道路遺跡の発見は僅かで、静岡市の曲金北遺跡、平塚市の東中原E遺跡などでそれぞれ巾9mほどの道路が見つかっているだけです。多摩川を渡ってからの古代の東海道の道路は発見されていなかったのですが、平成13年大森貝塚に近い大田区山王一丁目で中世の道路跡が見つかり、この道は古代東海道の小高駅から大井駅に至る道筋とも推測されています。
鎌倉時代になると京都と鎌倉を結ぶ東海道が最も重要となり室町時代まで続きました。この東海道は京都から下るときには東山道(後の中山道)をとおり不破の関跡(岐阜県関ヶ原)を過ぎて江戸時代に美濃路といわれていた街道を通り、熱田から東海道に入ったとされています。源頼朝の上洛をはじめ鎌倉将軍も多くこの道を利用していました。鎌倉幕府の成立によって相模国の東海道の基点は鎌倉になり、道筋は海岸沿いとなって箱根峠から大磯・茅ヶ崎・藤沢を経て鎌倉に入ったのです。鎌倉に至る道を「鎌倉道」「鎌倉街道」といいますが、武蔵国を通る鎌倉道は3本あり上ツ道・中ツ道・下ツ道で、それぞれ枝道があり各地に鎌倉道が存在していました。品川区域の鎌倉道は下ツ道で、現在の池上通りに平行してはしり池上から高輪へ至る道筋でした。品川区内では大井五・六丁目付近の来迎院(鹿島神社)、光福寺・西光寺とつながる道が鎌倉道といわれています。戦国時代になると、諸大名はそれぞれの領国内に伝馬の制を設け、街道には宿を設けて一定数の馬の提供を義務づけました。これが拡大され整備されて江戸時代の宿駅・伝馬の制度が出来たのです。(江戸時代の道/品川区)
(図は「相模国の駅路」(東海道への誘い/横浜国道工事事務所)を参照しました)
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by Twalking | 2017-09-06 10:44 | 東京散歩(新規)