無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩の古道02-奥州古道・常盤ルート(改定)   

日時 2018.1.3(水)
天気 晴れ

巡礼道からひとつ西側の尾根筋が常盤道、
上小山田へ下り、多摩丘陵の西端部へ上り返し、
境川へ下っていきます。

道としては巡礼道の方にやや分がありますが、
こちらは郷の風景や古い寺社もありますので
見所は豊富、変化があって面白いですよ。


・・・忠生村


かつて東京都南多摩郡に存在した村である。1958年(昭和33)隣接する12村との合併により町田市となり廃止された。現在の町田市の町名では山崎町、山崎、木曽町、木曽東、木曽西、忠生、根岸、根岸町、矢部町、常磐町、図師町、上小山田町、下小山田町、小山田桜台にほぼ相当する。名称は小山田高家という忠臣が生まれた土地であることから。高家は『太平記』に新田義貞の身代わりとして湊川の戦いで討ち死にしたという記述がある。
町田市下小山田町にある大泉寺小山田氏居城跡といわれる(Wikipedia

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街道の風景① 巡礼道の辻の先から上小山田へ下ります。この道はすれ違いできませんが、都道なんですね/よこやまの道(市境)

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都道155号町田平山八王子線
町田市から多摩市、日野市を経て八王子市に至る一般都道である。(起点:町田市図師町図師大橋交差点 終点:八王子市大和田町・国道20号石川入口交差点)町田市の小山田バス停留所付近-尾根幹線道路交点手前までは幅員1.9 - 2.1mの狭隘路であり、2トン以上の自動車は通れず車両の離合は不可能。八王子市堀之内の堀之内芝原公園- 多摩テック付近までは、上記と同じ程度の狭隘路であるため離合は難しい上、抜け道として利用されており交通量が多く見通しも悪い。Wikipedia

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鎌倉時代の蓮生寺と鎌倉道
この峠から北は、現在は崖ですが近年まで鎌倉時代の伝説に関わる古道がこの先北方900m先の蓮生寺という寺の前へ続いていました。鎌倉時代の公式記録である吾妻鏡の寿永元年(1182)420日条には「源頼朝の父・義朝の護持僧であった円浄坊という僧侶は、頼朝が母の胎内に居る時から祈祷をしていたが、平治の乱以降、京都を出て武蔵野国に蓮生寺創建し、頼朝も土地を寄付してこの寺を保護した」とあります。この僧は天台宗比叡山に属したことからこの近くの山王塚(多摩市の西の境界点付近にあった)や日枝神社もそのことと無縁ではなさそうです。寺の前からこの峠に続く道には鎌倉道伝承があり、多摩ニュータウンに伴う発掘調査では鎌倉時代頃の建物跡鍛冶場跡、土器や陶器、中国製の舶載陶磁器などが出土しています。また本尊の木造羅遮那仏坐像は円浄坊が京から持参した仏像で藤原様式のものとみられ、また近くの別所長池から出現したという薬師如来像も平安時代末期の地方仏とみられています。(案内板)

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・・・上小山田町/町田市

中世、坂東八平氏
の一つ秩父氏の一族有重が武蔵国小山田荘に移り住み小山田氏を名乗る。1447年には長尾景春によって小山田城が落城している。その後、後北条氏の支配下に入っているがその頃には上小山田村、下小山田村の名が見える。Wikipedia

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街道の風景② 左手の尾根筋が巡礼道になります

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急坂のヘアピンカーブ         里道に下りました
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街道の風景③ 振り返ると谷戸の奥に下り口(よこやまの道)が望めます

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正山寺山門(しょうさんじ)/
上小山田

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正山寺
寺記によると開基祐玄は西本願寺12世准如法主に帰依し門末となり、元和元年9月朔日、本尊阿弥陀如来御木像を賜り、寺号を許されました。その後、第4世意的が貞享339日に東本願寺に転派して今日に至っています。また、口碑によると戦国争乱の世、小田原の北条氏が関東を支配していた時、甲斐の武田信玄が北条の隙をうかがって鎌倉に出陣の折、三浦郡にあった某寺に宿を請い、同寺の住僧は甲斐に縁故があったことからこの申し入れを受け入れました。しかし武田氏は目的を遂げられずに退去しました。このことが北条氏に密告され、北条氏はこれを怒り同寺及びその近傍の同宗の僧徒を駆逐し、または処刑しました。正山寺以前の当寺の住職もその被害を蒙り、相州小山(現在の町田市小山町馬場)にを逃れました。祐玄の時まで小山に在り小山寺と称していましたが、その後上小山田野中谷戸に移築して正山寺に改めたと言われています。尚、忠生村誌には江戸末期の上小山田出身の国学者小山田与清の考証として次のようなくだりが引用されています。西本願寺の古文章には「武州多西郡小山田村伯耆(ほうき)沢小山寺といふ。さては伯耆が谷とも伯耆沢ともいへり。小山寺といふも小山田の田をはぶけるにや。今はもじを改めて正山寺となんかける」(正山寺H)
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街道は左手の尾根に向かって上ります/正山寺境内

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石仏群/田中谷戸倶楽部         右手へ行くと鶴見川源流広場です

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街道の風景④ 小山田十字路を右折して「尾根緑道」へ上ります

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直進すると大泉寺(小山田城址)    鶴見川を渡ります 

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バス通りと別れ旧道へ          街道は右へ、養樹寺に寄ります

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養樹院山門
(じょうじゅいん)/上小山田

富亀山養樹院
大泉寺11世で図師の圓福寺を開いた聖翁存祝和尚が、もとは密教の寺院だったが荒廃していたところを慶長19年(1614)曹洞禅寺として再興した(フットパス案内版)

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本堂                 横額

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養樹院曹洞宗 
下小山田町大泉寺末。山寺号:富亀山養樹院。開山:存祝、寛永7年(1630126日示寂。本尊:釈迦木座像、蓮台とも三尺。本堂:間口八間 奥行五間 ほかに三間四面の開山堂が付属する 寄棟亜鉛葺 三間に二間の向拝があり、正面唐破風 総持寺管長書「養樹院」の横額を掲ぐ。鐘楼:九尺四面総欅。梵鐘なし。明治43年一成建造。円通庵:観音堂なり。二間に二間半御堂造り。本尊ジンテイ観音長一尺二寸。庫裡:三間半に八問、寄棟瓦葺木造平屋。玄関 本堂と庫裡の間を結ぶ。三間の式台あり。山門:間口九尺、奥行一間の組門。総門 石柱。 庭内:彦根緑山の句を中村汀女の筆にした『松山も榛の木山も春の声』の句碑がある。(町田市史)

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円通庵(武相観音霊場第36番札所)

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街道の風景⑤ 旧道を直進すると平薬師堂、神明神社があります。尾根の白い建物が下り口(よこやまの道)です/神明神社

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平薬師堂               薬師堂前の旧道

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神明神社鳥居/上小山田

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神明神社
由緒書によれば、当神明神社は鎌倉幕府の御家人として活躍した小山田一族で小野路城の城主であった小山田次郎重義が、伊勢の伊鈴川の面影が色濃い場所として上小山田の田中谷戸を選んで天照大神を勧請したのが始まりといい、明治に入って村内の神社六社を合祀してこの地に遷座したという。ちなみに神明とは天照大神のことで伊勢神宮を勧請した神社を神明神社と称する。

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北側の参道              鳥居に「山王社」の扁額

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街道の風景⑥「尾根緑道」東側の景観です。養樹院先からの道と合わせます/神明神社先

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小山田付近MAP/まちだフットパス
(橙:奥州古道常盤道 赤:武相観音巡礼道 紫:奥州廃道(長坂道)青:鶴見川)


・・・常盤町(ときわまち)/町田市

町田市の西部に位置する。東で下小山田・忠生、南で矢部町・相模原市中央区上矢部、西で小山町、北で上小山田と隣接する。相模原市との都県境付近を境川が流れる。永禄の頃には既にこの地名が使われていたが地名の詳しい由来についてはわかっていない
Wikipedia

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街道の風景⑦ 「尾根緑道」西側の景観、相州大山がくっきり望めます/種入

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尾根緑道を南へ            公園先から下ります

尾根緑道の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23515579/

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持宝院山門/
常盤町

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持宝院
宗派:本山修験。木曾町覚円坊配下。山寺号 玉郡山持宝院。『風土記稿』には玉郡山田沢寺連蔵坊とあり。開山:持宝院縁起には鎌倉時代とあるがこれは明確でない。『風土記稿』には上記のように載録されているので文政年間にはすでにあった。明治維新の修験廃止に逢い同62天台宗寺門派となり常盤不動尊として今日に至る。本堂:間口三間半、奥行三間半、向拝あり。寄棟亜鉛葺木造平家。庫裡:六間半に五間の草屋。本尊:不動。(町田市史)

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日枝神社鳥居/常盤町

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日枝神社
日枝神社(祭神 大山咋神・おおやまくいのかみ)は永禄元年1558)今から441年前には常盤の集落に鎮座されていたといわれます。永い歴史の中で集落の守護神日枝神社には消長流転を経ながら氏子や崇敬者に支えられてきました。とりわけ明治39年から昭和32年までの51年間、日枝神社は神明神社(上小山田鎮守)に移され、境内社に過ごされておりました。町田市制に伴う町名分割(上小山田町と常盤町)により日枝神社は常磐の鎮守としてこの地に再び還ってきました。漸く諸般の情勢が整い平成55月神社本庁の承認を得、平成83月東京都から宗教法人の認証を得る事ができました。これを機会に平成92月社殿造営計画をを開示しましたところ氏子、崇敬者の篤い理解に支えられて資金の目途も立ち、建設も順調に推移し平成117月社殿完成するに至りました。壮麗な社殿の造形は常磐の里の鎮守にふさわしく信仰の心とともに後世に伝えられると信じます(碑文)


・・・上矢部/相模原市

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街道の風景⑧ 境川を渡ると相模原市、河岸段丘を上り矢部駅へ

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町田街道常盤交差点を左折       常矢橋を渡ります

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上矢部御嶽神社鳥居/上矢部

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上矢部御嶽神社
上矢部御嶽神社は旧上矢部村の鎮守として境川を背にしたところにあります。創建は明確ではありませんが、建久年間(119099)にこの地に居城を構えていた矢部義兼によって「三嶽社」として勧請され、その後、矢部氏滅亡後は建武年間133438)に正覚院浄因によって「御嶽大権現」として再建されたと伝えられています。

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広く静かな境内には弁天社・第六天社・八坂社・蚕影社・日枝社などがありますが、この日枝社の社殿は境内地にあったものが焼失してしまったために、大正初期に柚木村(現在の八王子市)より譲り受けたものです。この神社の例大祭では、市内でも珍しい「笹湯の湯花神事(湯立神事)」が行われます。これは境内に竹を四方に立ててしめ縄を張り、その中央に3本の丸太を組み合わせてかまどを作り、その上に釜をのせて火を炊いて湯を沸かし、神職がそれを笹の葉で左右に散らすという厄除けの神事です。この丸太によるかまどはもちろんのこと、神前に初湯を供える青竹の棚にいたるまですべてをの場の手作業で作らなければならず古式ゆかしい神事として注目を浴びながらも、その継承には難しいものが感じられます。(さがみはら風土記稿)

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常磐周辺マップ 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照
(橙:常盤道 紫:町田街道 青:境川)


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資料ファイル

神明神社
(しんめいじんじゃ)

天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(伊勢市)を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、神明宮皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社などともいい通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされているが、一説には約18,000社ともいう。一方、岡田荘司らによれば、祭神で全国の神社を分類すれば伊勢信仰に分類される神社は全国2位(4425社)であるという。祭神の天照大御神太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされているため、農耕儀礼と密接に結びつき広く信仰を集めた。古代においては皇祖神として天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止されたが、中世に入り朝廷が衰微するに伴い、伊勢神宮の信者を獲得し各地の講を組織させる御師が活躍し、皇室のためだけの存在から日本全体の氏神・鎮守としての存在へと神社の性格は大きく変わった。また、布教とともに各地の有力者による神領(御厨)の寄進が行われ、その地に伊勢神宮の祭神が分霊され、神明神社が広範囲に分布することとなった。特に神仏習合の教説において神道側の最高神とされたことなどにより近世に至り一般民衆の間にも伊勢信仰が盛んになると、新田開発の際に神明神社を創建することが盛んになった。その祭事はほぼ伊勢神宮と同じであり、神使もである。鳥居の形は主に「神明鳥居」であり素朴な形式で全体的に直線的である。建築様式は神明造であることが多い。なお、「神明」という言葉は天照大御神のことを指すほか、単に「神」という意味でも用いられる(Wikipedia


山王信仰(さんのうしんこう)

比叡山麓の日吉神社(大津市)より生じた神道の信仰である。山王とは滋賀県大津市坂本の日吉大社で祀られる神の別名であり、比叡山に鎮まる神を指したものである。日吉神社日枝神社あるいは山王神社などという社名の神社は、山王信仰に基づいて日吉大社より勧請を受けた神社で、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬし)(または大国主神)を祭神とし、日本全国に約3,800社ある。神仏習合期には「山王権現」や「日吉山王」とも称され、今日でも山王さんの愛称で親しまれている。なお、日吉大社では猿を神使とするが、猿との関連性についてはよく分かっていない。おそらくは原始信仰の名残りではないかと推測されている。(Wikipedia


by Twalking | 2018-01-08 22:01 | たまのさんぽ道(新規)

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