無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり入間01-宮寺氏館跡   

日時 2018.2.6(火)
天気 晴れ

思わぬ降雪でしばし出歩きを止めてましたが、
余りの好天に誘われて車で入間市を訪ねました。

東村山から所沢へ鎌倉街道を山越えしましたし、
村山党の根拠地・狭山丘陵南麓も歩いてみましたが、
丘陵の北鹿には同党の宮寺氏、金子氏の館跡があります。

また、この丘陵低地はかつての古多摩川の流路、
入間市博物館に関連の展示物もあると知りましたので
要所を繋ぎながら散策してみました。


・・・宮寺

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丘陵の風景① 狭山丘陵の北鹿、中央辺りが宮寺になります/入間市博物館

地名の由来
.「宮」と「寺」の文字から考えて矢寺の西勝院と西久保の寄木宮(出雲祝神社)がこの地にあったことから付いた地名であるという(埼玉県地名誌) 2.西勝院が寄木宮の神宮寺(神社に付属してたてられた寺のこと)であると考え「神宮寺」が略されて「宮寺」になったという(埼玉県地名誌) 3.狭山丘陵の平坦地に宮があったため「宮平」と称したものが変化して「宮寺」になったという(埼玉県地名誌)/入間市HP


・・・宮寺氏館跡/西勝院周辺

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西勝院山門 真言宗豊山派のお寺、
狭山観音霊場第29番になります

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山門(黒門)左手に「宮寺氏館跡」の標柱が立ちます

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(荻原村)西勝院
宮寺山無量壽寺と號す 新義真言宗、多磨郡中藤村真福寺末なり 中興開山智養元和51115日寂す 相傳ふ此寺に昔宮寺西勝と云もの住すと 西勝がことは記録なければ知べからず されど「東鑑」にも正嘉の頃の人に宮寺蔵人政員など云人見えたれば 西勝も彼人の族などにやありけん 又傳ふ加納下野守と云者住せり 其頃までは當寺矢寺村の内に在しを 下野守が計ひにてここに移せしと云 本尊は薬師なり』(新編武蔵風土記稿)


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宮寺氏館跡
(市指定史跡)
平安時代末に武蔵七党のひとつである村山党村山家平(いえひら)が、宮寺の領主となって宮寺五郎家平と称しこの地に居館を構えた。現在西勝院とある場所がこの宮寺氏館跡である。村山党は桓武天皇九代の孫で今から約九百年前、村山(東京都武蔵村山市)に住み着いた村山(平)頼任(よりとう)をとする、頼任の子頼家には四子があり家平は次男である。宮寺氏の菩提寺西勝院は元は宮寺の大御堂(おおみどう)にあったが、慶長10年(1605)に現在の地に移転したと伝わっている。現在ではこの居館跡の全体遺講を見ることはできないが、西勝院内の南側・東側に土塁空堀、また山門手前左側に土塁の一部が見られる。さらに西側を流れる水路が館の水堀であったと推測され、その内側には土塁が構築されていたと考えられる。この水路は現在西勝院の境内を囲むように西側から北側に流れている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会)

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境内南側・東側に土塁と空堀が残ります

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土塁の様子              山門左手の土塁

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西側からみる西勝寺の全景

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「水堀」と推測される西側の水路の様子

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北側からみる西勝寺の全景

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史跡宮寺館跡/境内北側
桓武天皇9代の孫・平頼任は、今からおよそ900年前村山に住んで武蔵七党の一つである村山党の祖となった。その子孫は枝葉のように入間郡を中心にひろがって大武士団をなり、源頼朝の鎌倉幕府の成立に大きな力となったことは広く知られているところである。村山(平)頼任の子・頼家四子があった。長男家綱は入間郡大井町に住んで大井氏を名乗り、三男家範は入間市に住んで金子氏となり、四男家継は所沢山口に住んで山口氏をとなえ、そして二男の家平は宮寺の領主となって宮寺五郎と称してこの地に居館を構えたのである。源頼朝、同義経の家来で源平合戦で名高い金子十郎家忠は、宮寺五郎家平の弟家範の子である。家平の一族と思われる宮寺三郎や宮寺蔵人の名が当時の史書に見えるから十郎家忠らとともに活躍したのであろう。

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すでに800年以上も昔のことであるからこの居館跡の全体の姿を知ることは難しいが、西勝寺境内の東部に残る長さ30m、高さ2mの土塁空堀は明らかに当時の遺構の一部で、北隣の荻野家の屋敷の北側約120mにわたって残っていたのである。元弘3年(1333)に鎌倉幕府が滅びたころは加納下野守なるものがここにいたと伝えられ、江戸時代から狩尾氏、のちに伊濃(猪尾、井野尾、伊野尾とも書いた)がいたが、この間の詳しい事情はよくわからない。以上宮寺館跡の概略を記して見学者の参考に資するものである。昭和58919日(入間市教育委員会、宮寺郷土を知る会、入間市文化財研究同好会)

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入間周辺地図/明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照
(赤:鎌倉街道 橙:日光脇往還 紫:青梅街道 緑:江戸秩父往還 青:多摩川・入間川 赤丸:宮寺・金子・中村)

六道山&狭山丘陵南麓の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/26270604/



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資料ファイル

入間市の歴史

入間市の古代における遺跡のうち代表的なものとして東金子窯跡群があり、ここでは主に国分寺瓦が造られた。聖武天皇時代、全国に設けられた国分寺に奉献された瓦のなかには入間の郡名を見ることができる。中世においては、武士団が勢力をもち入間市でも村山党金子氏宮寺氏及び丹党加治氏などが武蔵武士団の一員として活躍した。この時代の史跡として瑞泉院には金子氏一族宝篋印塔がみられ、高正寺にも巨大な板碑が遺されている。また、入間市を初めとする周辺地域に遺された板碑は、数多く中世期における当地方の活動状況を表すものであり、特に円照寺加治氏板碑は同氏が政治的にも深く係わりをもっていたことを示している。江戸時代当地方は天領、藩領、旗本領と支配が入り混じっていたものの経済活動は活発化していった。特に江戸末期において扇町屋は穀物市や木綿市が立ち、地域経済の拠点として栄えた。明治期に入り、現在の入間市の原型ともいえる町村(豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、東金子村、元加治村、元狭山村)が成立し、また繊維工業のめざましい発展がみられた。(入間市HP)

入間市博物館(1)


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宮寺氏館跡
宮寺氏は武蔵七党のひとつ村山党の武士で、村山頼家の二男・家平が鎌倉時代に宮寺郷の領主となって宮寺氏と称し、この地に居館を構えたとされます。外郭130m四方で、内部の堀跡・土塁の一部が残存しています。土塁の外側に沿って狭山丘陵からの沢水を利用した水堀が館を囲っていました。周辺には「城ノ腰」「城東」「的場」「的場後」という小字があり、館に関連のある地名と考えられます。また、境内より鎌倉期から室町期にかけての板碑宝篋印塔が出土しています。(入間市博物館展示パネル)

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宮寺館跡から出土した宝篋印塔
康応元年(138910月日銘
複数の人々が集まって十三部経を書写、誦して奉納した結衆の石塔です。宮寺氏一族の信仰に関する石塔として貴重です。(入間市博物館展示パネル)

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宮寺氏の館跡(現西勝院)「武蔵野話」国立国会図書館蔵/入間市博物館展示パネル

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江戸時代の主要な道/入間市博物館展示パネル
(赤:日光脇往還道 橙:江戸秩父街道 赤角:扇町屋宿・二本木宿 赤丸:博物館・根岸の渡し・笹井の渡し)

扇町屋
(おうぎまちや)
旧入間郡扇町屋村。古くは金子郷、山口領に属し鎌倉時代には旧鎌倉街道のひとつ狭山路が通っていた。また室町時代には大火がありこの時から愛宕神社に火産霊命、別雷命を合祀して愛宕権現と呼ばれるようになった。江戸時代初期の正保年間には石高70石の小村だったが、青梅から川越に至る街道と八王子から日光へ向かう街道の交点にあたり伝馬が整備され宿場が発達した。江戸時代の扇町屋宿は長さ6町ほど、道幅8間余り、戸数90軒、三と八のつく日に穀物などを売る市が立ったと言われる。米穀商が多く八王子千人同心日光行では往還の際に利用されていた。また大山詣で(大山阿夫利神社)に使われた八王子通り大山道(熊谷-丹沢・大山)の宿場町としても使われた。正保期には旗本・朝比奈源六郎領と愛宕社領の入会地が混在したが、1843年(天保14)、天保の改革の一環で上知令により朝比奈領は上地(天領)となり、上知令を含む天保の改革自体が頓挫した後は田安徳川家の領地となった。この時代の地名に上、中、下、大水久保、山王塚、古塚、金堀澤、神名久保、本宿が挙げられる。また東南方78町離れた場所に扇町屋新田と呼ばれる新田があり本村の持添であった。元禄6年(1693)に本村の検地が近山与左衛門・瀧野十右衛門により、宝暦8年(1758)に新田の検地が伊那半左衛門によって行われた。地名は愛宕神社の神体が五本骨のであることからこの名がつけられたといわれるWikipedia

by Twalking | 2018-02-09 13:40 | たまのさんぽ道(新規)

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