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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道(多摩~町田)04-本町田   

日時 2018.2.18(日)
天気 晴れ


今井谷戸入口からは恩田川に沿って進みます。
養運寺、鶴川街道辺りが本町田宿、かつての中心部です。
恩田川沿いの道は成瀬へ、本路は台地へ登ります。

菅原神社の一体は中先代の乱の古戦場、境内に碑が建ちます。
原町田へは台地上を行ったようですが道は消えてますので、
鶴川街道を通って小田急線の町田駅に向かいます。

久し振りに歩きましたが、ここは古道跡がよく残っていますし、
自然も豊か、変化のある歩きが楽しめるコースですね。
また、季節を変えて歩いてみたいと思います。


・・・
本町田

町田市中部に位置する面積の広い町域で、大規模な集合住宅も集中するため市内で最も人口が多い。多摩丘陵の南西縁に接し、近隣の中町・原町田などが多摩丘陵相模原台地境界部となる。江戸時代以前の町田とはこの地域を指し町田村中心地であった。(Wikipedia

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街道の風景① 現鎌倉街道から七国山を望みます。右手が今井谷戸、恩田川の源流域です/今井谷戸入口

本町田の旧字-今井(今井谷戸)
町田川の源流付近であり、深い谷戸沿いに広がる地区。鎌倉街道は向村及び宿より一色後田を経由し、今井から七国山方面・薬師池方面へと抜けていた。現在の今井谷戸交差点付近。(Wikipedia

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街道の風景② 現道の西側を南へ、恩田川は暗渠になっています/今井谷戸入口

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なかよし散歩道
この「なかよし散歩道」の地下には大雨による「湧水」から地域を守る公共下水道本町田2号雨水幹線を備え、地上の約600m区間はひなた村から薬師池公園へと散策できる「親水」緑道の二層構造になっています。(案内板)


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恩田川はここから開削です       なた村入口

ひなた村
ひなた村は町田市のほぼ中央に位置する緑豊かな小高い丘(標高105.8m)にあり、公園(野球場、テニスコート、本町田遺跡)、博物館、住宅、団地に囲まれ、面積は67千m2林の中の広場やホール、レクレーションルームなどを備えた青少年施設です。ここでは自分たちで考え作り、思いっきり遊ぶところです。自然の中でカレー作りやお餅つきをしたり、チャレンジ教室などに応募してさまざまな体験ができます。(町田市)

恩田川(源流域)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/23231735/

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宏善寺山門/本町田

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宏善寺宗派 
日蓮宗(法華宗)身延山久遠寺末。山寺号 久住山善立院宏善寺。開山 日海。文永8年(12711018日とあるが『風土起稿』は「その年代を伝へず」と記している。もと井手の沢に所在したが、暦応元年(1338)現在地に移るともいう。日蓮竜ノ口の法難が文永8912日で一時相模国愛甲郡依知に配置され、依知よりさらに佐渡に送られたのがその年の10月で、そのおり井手の沢の真言小庵に休息して日蓮宗に改宗させた伝説があるところより、文永81018日の開山としたものとも推考できる。朱印 寺領七石。本尊 三宝祖師。ただし明治311月の「村明細帳」には「本尊釈迦牟尼仏」とある。

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本堂 昭和425月落慶の鉄骨鉄筋コンクリート造り、室町風の入母屋造。客殿 50坪、木造瓦葺。庫裡 116坪、木造二階建瓦葺。日朝堂 間口3間、奥行四間12坪。中老僧日朝と七面天女とを合祀し、木造入母屋、建築年代は不明。鐘楼 大正4年(1915)建立、二間四方木造欅造り瓦葺。梵鐘 前梵鐘、昭和203月供出し昭和28年鋳。銘天野佐一郎。仁王門 明治18年(1885)再建、入母屋木造瓦葺105合、総欅、四方タル木である。金剛力士、江戸中期と伝う。総門 昭和47年再建、冠木門。正面入口2間、両袖一間ずつ、奥行2間白木造り瓦葺。

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総括 宏善寺は町田市内の古寺で、堂塔の整備している小山田大泉三輪妙福寺と併称される大寺で、戦後畑28町、田12町余りを開放し、なお山林をひなた村の青少年社会教育施設として町田市に提供しており、古い時代の2間に3間の土蔵なども残されている。そして、旧鎌倉道沿いにあったため隣寺養運寺などとともにしばしば戦火のため焼亡した歴史も秘められている。什宝 祖師日蓮の二行切、一行切の二幅は真筆である。(町田市史)

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街道の風景③ 養運寺山門付近です、この先で鶴川街道と交差します

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養運寺/本町田

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養運寺浄土宗、
鶏足山智光院養運寺と称す。開山 永禄10年(1567)光蓮社伝誉上人。本尊 阿弥陀三尊、養運寺本堂におまつりされている仏様は、阿弥陀様を中尊に向かって右側に観音菩薩様、左側に勢至菩薩様の弥陀三尊です。それぞれ木造で室町時代中期の作と考えられます。阿弥陀様は西方極楽浄土におられ、教えを説き無量の光で衆生を救済してくださる仏様です。臨終のときには自ら来迎して我々を極楽浄土へ導いてくださります。観音様は人々の救いを求める声を見聞きし、それぞれの苦悩や願いに応じて救いを差し伸べる慈悲の菩薩様です。勢至菩薩様は智慧の力で人々の迷いを取り除いてくださる智慧の菩薩様です。(養運寺HP)

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山門                 鐘楼

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境内から南を望みます、右手が菅原神社になります

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鶴川街道を横断            成瀬Rとの分岐になります

本町田の旧字-宿
町田村中心地で、鎌倉街道の宿場として栄えた。近年までかつての雰囲気を残す街並みがあったが、鶴川街道の拡幅や宅地化に伴い姿を変えつつある。現在の日向台住宅南部日向台交差点養運寺付近。(Wikipedia

成瀬Rの関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/23236303/

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街道の風景④ 川らしくなって流れる恩田川を渡ります/稲荷坂橋

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街道の風景⑤ 稲荷坂を菅原神社の南側へ上ります

本町田の旧字-向村
菅原神社が置かれている。かつては湧水地があったことから、付近は井出の沢(井手の沢)と称されることもあった。現在の菅原神社交差点付近
Wikipedia

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菅原神社参道/本町田

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菅原神社
寛永7年(1630)に、神奈川県の青木山西向寺の開山である寒江和尚作の渡唐の天神の像とともに大沢玄蕃が境内地を寄進して一宇を建立したのである。その天神像は先祖の大沢七郎正純の守り本尊である。寛文5年(1665)には「天神宮寺」とあり、享保8年(17234月と天明5年(17854月に社殿の再建をしたことが社宝の棟札にある。社宝に作者不明の右大臣・左大臣の座像があり本殿の左右におかれている。町田の三天神の一社である。境内末社に防火の守り神である愛宕社が奉斎してある。天野佐一郎先生の筆になる「史蹟井出ノ沢」の記念碑は昭和30年(1955612日の建立である。昔は神事相撲があり祭礼の時に奉納されたのである。祭神は菅原道真公を奉斎してある。例祭日は毎年825日である。境内地坪数1740坪、境外山林840坪余りあり。町田市内の神社では広大である。町田市本町田802番地に鎮座している。

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菅原大神のこと
大宰府の道真公は延喜3年(903225日、おのれの不幸をなげきつつ病死したのである。その後、京都では落雷がしきりにあり菅公の怨霊による崇だといわれた。北野の雷神ないし天神と、菅公の怨霊と結びつき村上天皇の天暦元年(917)に天満天神の号をつけて神として祀られたのである。また、南北朝時代以来、渡唐天神の伝説とともに学芸の神として崇敬するようになったのである。(町田市史)

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拝殿南側の社叢

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井出の沢の古戦場/菅原神社
井出の沢古戦場は南北朝時代に発生した中先代の乱の古戦場です。元寇年(1333)にはじまった後醍醐天皇による建武の新政は武家を軽んじたため各地で武家の不満が高まりました。そのような中かつて鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の得宗である高時の子・時行が建武2年(1335)反乱の兵をあげました。これが中先代の乱です。信濃から鎌倉奪還を目指し南下した時行は、この井出の沢の地で足利尊氏弟・義直によって迎撃されました。激戦の末時行の軍は足利勢を破り鎌倉占領しましたが、わずか20日余りで足利尊氏・直義の軍に鎮定されました。現在菅原神社、町田市立体育館及び市営グランドのある場所が井出の沢古戦場跡と伝えられています。(東京都教育委員会)

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境内から北側の七国山を望む、下の道が鶴川街道になります

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菅原神社裏の道            町田中央公園付近

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街道の風景⑥ 菅原神社からは鶴川街道の右手を原町田に向かったようです/町田高校前(鶴川街道)

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小田急線を横断            二番街を町田の辻へ

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ルート地図(成瀬から本町田へ)/旧鎌倉街道散策の旅(1)上道・山ノ道編/芳賀善次郎著(さきたま出版会)を参照
(赤:鎌倉街道 橙:同成瀬ルート 緑:現鎌倉街道 紫:鶴川街道 青:恩田川・境川)

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多摩貝取~原町田ルート地図
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山道 黄:芝溝街道 茶:鶴川街道・町田街道 青:鶴見川・恩田川:境川)

by Twalking | 2018-02-24 09:10 | 鎌倉街道(新規)

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