無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり松田&山北01-松田城址   

日時 2018.6.2(土)
天気 晴れ

渋沢丘陵を越えて、酒匂川を渡り駅のあった
坂本へと向かい、足柄峠へと古道は続きます。
周辺には遺跡や史蹟も多く見所は多いようです。

酒匂川の上流域は波多野氏の一族の松田氏、
河村氏が進出しきた所、その城跡が残りますので、
先に進む前にその足跡を訪ねて見ることにしました。



・・・松田惣領


松田町は
足柄平野の北端にあり町域の大部分を丹沢山地が占める。中心集落の松田惣領酒匂川川音川の合流点に位置し、中世には松田荘が置かれた。足柄平野北部の交通の要地にあり矢倉沢街道宿場町、丹沢山地と大磯丘陵の接する谷口集落として発達し、現在はJR御殿場線と小田急線が交わるほか国道246号、255号線が通り東名高速道路の大井松田インターチェンジが設けられている。(コトバンク)

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街道の風景① 街道はロマンス通りを西へに向かいます/松田駅前


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途中を右折すると中沢酒造があります、一帯は街道の面影が残ります

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中澤酒造
日本酒を中心に製造販売する。主要銘柄名は「松美酉(まつみどり)」。1825年(江戸・文政8年)創業。中沢酒造で表記されている場合もある。足柄米を使いおいしい酒づくりに精を出す一方で、松田周辺の庄屋も兼ねる名家であった。また当時は小田原藩御用商人として大久保家に出入りし、その縁で自慢のお酒を献上したところお殿様から立派な酒名を賜った。それが「松美酉」である。ちなみにこの名は松並木が美しかった松田周辺の景観に由来しているWikipedia

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街道の風景② 街道を左折する道が「十文字の渡し場」への旧道でしょうか

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左手に供養塔道標          ガード手前の石搭群

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川音川が酒匂川に合流します/宮下児童公園

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「十文字」のモニュメント/宮下公園 江戸の渡し場はこの辺りでしょうか

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酒匂川から振り返って見る渋沢丘陵、左手は松田山です/渡し場付近

松田山

丹沢山地最南部、足柄上郡松田町と同郡山北町にまたがる山塊である。小田急小田原線およびJR東海御殿場線の新松田駅(松田駅)の北に位置する北西から南東にやや長い台形状の山塊であり、最高地点の標高は568mである。山頂一帯はゴルフ場となっており、南斜面には最明寺史跡公園西平畑公園などが設けられ季節を通じて多くの観光客が訪れる。Wikipedia


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街道の風景③ 昔は渡し、現在は橋を渡り開成町へですが、街道と別れて松田庶子へ向かいます/十文字橋

十文字橋
開成町と松田町を結んで酒匂川に架けられている橋を十文字橋といいます。また、橋の付近一帯、川原を含めて十文字と呼びますが正式な名前ではありません。その昔「十文字の渡し」という、矢倉往還の中で難所の渡し場が橋に変わった名残りです。渡しの方法は原則として歩行渡しでしたが、危険なため代官蓑笠之介により夏期は船渡しに変わり、冬期は流れの上だけ橋を架けていました。また、開成町側には渡しのケヤキと呼ばれるケヤキが植えられており、対岸が遠いため目印とされていたそうです。現在のケヤキは二代目のケヤキになっています。(酒匂川水辺ウオークパンフ)

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十文字橋の歴史
十文字橋明治221889)東海道線が開通し、それに伴い松田駅から大雄山最乗寺道了尊に通ずる幹線道路の橋として出来ました。この木の橋は地元有力者が建設し金銭を取り渡らせていました。たび重なる豪雨でその都度流され仮橋や渡舟で対応していました。大正21913年)現在の十文字橋の原型となるトラス橋を県が完成させました。しかし、中心部の橋脚だけが石で積み上げその他は木製でした。その後木製から鉄製になりました。大正12年(1923)の関東大震災で鉄製の橋脚は落ちてしまいましたが、石の橋脚部分だけは残りました。昭和81933)には鉄製部分がすべてコンクリート製になりました。その後、歩道をつけたりトラスをとる大規模改修をし、昭和51年(1976)からは松田町・開成町で管理することになりました。平成19年(2007997日未明の台風で大正2年(1913)につくられた石の橋脚の一部が被害を受けてしまいましたが、平成202008)現在の橋に復旧されました。このモニュメントに使われている石は大正2年(1913)の橋脚の石です。(松田町役場)

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酒匂川の鮎
神奈川県西部を流れる酒匂川は首都圏近郊では数少ない天然アユの遡上する河川です。下流の山北地区、松田地区及び小田原地区ではアユの友釣りを楽しむことができます。毎年61日から1014日まで 毎年121日から1231日まで。

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寒田神社鳥居/松田惣領

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寒田神社-松田町重要文化財(史跡)
西暦400年頃の古代に創建されたと言われる由緒ある神社で、延長5年(927)に国が作成した「延喜式神名帳」に相模国十三座の内「足上郡一座小寒田の神社」と明記されています。古代には箱根越えの旅人が足柄道の通行の途中この神社に旅の安全を祈願したと言われ、倭建命が東征の折に立ち寄られたと伝えられています。祭神は倭建命、更に文明4年(1472)に弟橘比売を合祀、大正2年に天神社2柱、昭和36年に子八幡社を合祀しています。

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神宝の椀-松田町重要文化財(工芸)
この椀は弥生時代後期の作と言われ神社創建の頃から御神宝として保存されています。材質はけやきで塗りの跡はなく、高台が特に高くロクロ目が荒く表面が輪なりにごつくて縄文のように見えます。なお、全体の形はふっくらとして量感に富んでいて格調の高い作品です。(松田町教育委員会)

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延喜式内社について
延喜式とは平安時代中期、醍醐天皇の時に完成した法制書です。この式の神明帳に掲載されている神祇官の管轄する神社を延喜式内社、略して式内社といって全国で2861社あります。相模国には13の神社名がのっています。当社はその一つです。このことから寒田神社は県西地区では唯一の式内社で、延喜式の完成当時すでに有力な神社として鎮座していたことが分る古社です。社伝では仁徳天皇3年(315年)の御創建で、古来より篤い信仰を集めていた由緒ある神社です(石碑文)

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寒田神社のカシ(かながわの名木100選)
幹はまっすぐに伸び県内のカシ類の中では最も樹高の高いものである。イチイガシは県内ではきわめて少なく貴重である。樹高:30m 胸高周囲:3m 樹齢:約500年(推定) イチイガシは関東南部から九州に分布する常緑高木である。樹高30m、胸高周囲5m、樹齢約1000年に達するものもあるといわれている。(神奈川県)

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松田大名行列-松田町重要無形文化財指定
寒田神社大祭典に江戸時代より行われており、その起源は詳かでないが文政13年徳川幕府に差し出した「人別一紙目録」にはその編成、服装等詳細に記されており、以来幾星霜幾多の変遷を経てきたが、明治初期藩制廃止に際し小田原城主大久保家の奴振りの師範を招いて指導を受け、一層充実し小田原藩十一万三千石の格式により今日まで受け継がれてきた。昭和46年同保存会が主軸となり衣装、調度品並びに御駕籠を新調、保存会員の拡大を図り益々盛大となってきた。演技の中心は奴振りで行列のかけ声と共に演技振りを行いその変化に富み独特の風格を持っていることで世に知られている。(松田町教育委員会)

矢倉沢往還(神山・松田惣領)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/26823895/


・・・松田町庶子(そし)

『松田有常松田郷に住みて領主たり、有常二子あり、太郎某は弟なれ共妻の出なるにより太郎として本家を継がせた。次郎某は妾腹なる故に兄なれ共庶子として分家す。是惣領庶子に村の名の由りて起これる所以ってなり、此れ以前は一邑にして松田と称えしこと論なし』(皇国地誌)。惣領地区を「上松田」、庶子地区を「下松田」と言ったこともあったが惣領と庶子に戻っている。

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街道の風景④ 酒匂川の河岸段丘上、集落を繋いで旧道が通っています

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石仏群                自然堤防?でしょうか

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城光沢                旗谷沢の石仏

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地蔵尊                 石仏群等が多い道です

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街道の風景⑤ 御殿場線の踏切を渡ると246号です/桜観音前

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桜観音/松田庶子


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桜観音
朱色の屋根が国道からもよく見えるお寺です。しだれ桜の老木が寄り添うように立っています。ご本尊の十一面観音菩薩は、奈良の長谷観音寺と鎌倉の長谷観音寺にある十一面観音像と同じ霊木を三分して作られたそうです。昭和46年に町の指定重要文化財の第一号となりました。(松田町HP)

十一面観音菩薩立像

平安時代の一本造り 高さ134.5一般には浮彫りで特に褶の部分は深彫りで彫痕が強く全体の風格に精神美がある。この十一面観音菩薩像は大和の長谷観音寺と鎌倉の長谷観音寺にある十一面観音菩薩像と共に一本の木を三分して作られたもので、行基の作であると伝えられている(松田町教育委員会)

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宝寿院/松田庶子

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宝寿院
真言宗東寺派のお寺。国道246号線を山北方面に行く途中の高台に見えるお寺です。長谷観音寺(桜観音堂)と隣り合う真言宗のお寺です。境内の庭園には多彩な植栽が施され、長谷観音寺の桜とあいまって四季折々の彩りを添えています。庭園内の階段をのぼると、東屋があり周囲の樹木を眺めることができます。(松田町HP)

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宝光寺 
真言宗のお寺です

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最明寺跡(松田山)への入口ですが、またの機会に/桜観音前


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最明寺跡
最明寺は松田山山頂付近の海抜550mの平坦地に、承久37月(1221)浄蓮上人(源延)が信州善光寺の一光三尊の仏を模写し、松田山頂に安置し創建、西明寺(最明寺)と号した。鎌倉時代には5歩に一楼、10歩に一閣といわれるほど盛大をなしたが、室町時代兵乱相続きおとろえる。文明2年(1470)鎌倉の八正寺の尊賢親王が再建を計ったがならず寺を金子郷に移転された。最明寺跡には今日も大門跡、日中坂、本堂跡、護摩堂跡、鐘突き堂跡等の地名や石碑・石仏等が安置されている。また、最明寺史跡公園内にからさわ古代瓦焼かま跡(のぼり窯)が移築されています。ここより徒歩約60分(松田町教育委員会)


・・・松田城址

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松田城跡想定図/説明板
松田城は鎌倉時代に松田氏によって築かれました。この地区より馬具や土器が出土しています。南北にひょうたん型に広がり、最北端の最高地(海抜約180m)のところに本陣居城址があります。(松田町HP)

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少し戻って坂を上り東名高速・城山橋を渡ります。崩されてますが右手が「下段腰曲輪」左手が「上段腰曲輪」です/城山橋

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下段腰曲輪              上段腰曲輪(城址への道)

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説明板のある所が前曲輪2です。眼下は街道の通る松田惣領、足柄平野、相模湾が一望できます

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松田城址(松田町指定)
松田城跡は旗矢沢天神沢という二つの沢を天然の要害として利用した典型的な連郭式山城である。東名高速道路の拡幅工事時に記録保存され、上・下段腰曲輪、掘立柱遺構・柵列・井戸・溝状遺構・地下式擴・堀切が確認され、炭火穀物類・陶磁器類・カワラケ・鉄釘・古銭等多数が出土している。城郭として利用していた時期は15世紀中葉から16世紀後半頃で、秦野盆地から来た波多野氏の系譜である松田頼秀・顕秀・憲秀の頃である。松田憲秀は小田原北条氏の筆頭家老であり、松田城はその弟・新次郎康隆の持城であったとの記録が残っている。(松田町教育委員会)

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その先が前曲輪             本郭曲輪2でしょうか
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本郭曲輪2より上段の風景です

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この上が本郭曲輪1のようですが、先もあるのでここまでにして下ります

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松田氏
相模国師柄上郡松田郷に発祥した藤原秀郷流波多野氏一族の氏族と、丹後を拠点とする桓武平氏流の秦行衆一族が知られている。室町時代後期に備前国西部一帯に存在した家系、室町時代に幕臣として京都に存在した家系(近年、丹後守・若狭守・豊前守・対馬守流のほう奉行集・松田氏一族は平姓であり奉公衆の波多野一族とは全く別の家系であることが判明している。小田原後北条氏に仕えた後に加賀前田家に召抱えられた相模松田家本家、その分家は結城家、徳川将軍家旗本になった家系がある。鎌倉期には相模国内に残存した波多野氏一族を統合する惣領家であったと考えられる。南北朝期から室町期にかけ、惣領制が崩壊し有力庶子家・一族が本宗家から独立していった時代であり、松田氏においてもいずれが本宗家かは定かではない。神奈川県足柄上郡松田町松田惣領にはJRの松田駅がある。Wikipedia
(系図:相模のもののふたち/永井路子氏を参照)

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街道の風景⑥ 酒匂川が大きく蛇行して流れます、いい風景です。右手奥の山北に向かいます/246号山北境

波多野城址の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/26773255/


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松田町風景散歩
松田町では丹沢系の中津川が流れ込む川音川と、酒匂川の2つの川が出会います。町の特産物である酒や農産物は、やわらかな丹沢の天然水が欠かせないと言っても過言ではないでしょう。このコースをたどることで、昔の人が川の氾濫や洪水などが起こるたびに知恵や工夫で生活を守り、神社の祭礼を行い伝統を今に伝えてきたことなどに想いを馳せる事ができるでしょう。(松田町HP)

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松田周辺地図 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(赤:歩行ルート 緑:矢倉沢往還 青:酒匂川)

by Twalking | 2018-06-07 14:22 | 古東海道関連(新規)

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