無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり松田&山北02-山北   

日時 2018.6.2(土)
天気 晴れ

山北は酒匂川の上流域、波多野氏一族の河村氏が
進出してきた最先端の地域です。
河村城址や関連する寺社など史跡が多く残ります。

山北町の「水緑まんぷくコース」がありますので、
東山北からこのルートで歩いてみました。
先ずは浅間山山麓の史跡を訪ね河村城跡へ向かいます。


・・・向原(山北町)

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街道の風景① 御殿場線沿いに246号を向原(東山北)へ向かいます/山北町境

東山北駅

山北町の南東に位置する向原地区にある駅。地元の請願によって戦後の1956年(昭和31年)に新設された駅で、当駅の開業と同じ日に2つ隣の相模金子も開業した。1970(昭和45年)に県立山北高校が駅近くに移転してからは多くの通学者に利用されている。また、山北駅よりも1日あたり100人ほど乗車人員が多くなっている。Wikipedia


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御殿場線を横断/村雨               尺里川を渡ります/大庭橋

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街道の風景② 大きく蛇行する酒匂川に沿って県道が通ります。右手「丸山」の裾を巻いて岸集落へ/原耕地

県道721号東山北停車場線

足柄上郡山北町の御殿場線東山北駅(246号)と県道74号小田原山北線交点(山北町岸)を結ぶ一般県道。Wikipedia


・・・岸

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街道の風景③ 丸山の西裾、向原と岸の集落を繋いでいますが、いい道ですね/岸

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般若院山門/岸

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河村氏の菩提寺「般若院」
当寺は河村氏初代・河村山城守秀高(波多野遠義・とおよしの二男)以来の菩提寺である。本尊に文殊菩薩を安置し、古くは恵華山と号した。河村城の大手湯坂の地にあったが文明年間、中興開山日円が現在地の北側に移した。天正8年(1580室生明神社を後方の丸山山上に勧請したので、室生山智積寺(ちしゃくじ)般若院(はんにゃいん)と号し、古義真言宗の名刹である。戦国時代甲斐、越後の軍が乱入し兵火で炎上、江戸時代にも災火にあって万治元年(1658現在地移転した。境内静寂、泉声渾々として脱俗の浄域である。

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後ろの丘に父の追福の為、河村権七が建てた累代の事蹟を刻んだ河村勝興(かつおき)のがある。寺宝として勝興の烏帽子型兜、法華経、河村城古図などがある。外に奥州河村氏に伝わる秘伝河村城篭城戦記「梅風記」の写し、幕府大目付河村大和守の記録がある。(山北町教育委員会)

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木造文殊菩薩坐像
般若院の本尊。右手に宝剣、左手に経巻を執る通形の文殊菩薩像です。構造は、頭体幹部を前後剥ぎとし割首、両体側材、脚部材などを剥ぎつけています。この像は量感のある全体形を持ち、やや箱型の体形や大きな衣文のさばきなどその造形に室町時代の名残を感じさせます。彫技は丁寧で背中や膝の起伏、穏やかに整った面相など神経の行き届いた表現を見せています。体内に納入銘札がありこの内容から寛文7年(1667)般若院一代法印宥傳(ほういんゆうでん)が鎌倉の仏師・式部に制作させた像と考えられ、江戸時代前期における鎌倉仏師の堅実な作風を伝える好例です。また、本像は般若院が江戸期に入り再興されたときの像であり史料的価値も高く評価されます。(山北町HP)(写真:山門)

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金箔烏帽子形兜
この兜は外見が烏帽子の形をしているため烏帽子形兜(えぼしなりかぶと)と呼ばれています。戦国時代後期、武具類の大量需要に応ずるためこれまで一般的であった筋兜や星兜から、しだいに制作の容易な頭形兜(ずなりかぶと)や烏帽子形兜などが流行するようになりました。これらは従来の兜と比べると格段に少ない鉄板で構成されるため軽量であり活動性にも富んでいました。鉢(頭に被る部分)は鉄板6枚を剥ぎ合わせて形作り、その上に漆を塗って剥ぎ目を平滑にしたのち金箔を貼っています。鉢の裏側に刻まれた銘文によると、天和元年(1681)に河村権七一吉が父勝興の追善供養のため智積寺(般若院の寺号)へ奉納したことがわかります。この銘文については江戸時代の後期、幕府により編纂された『新編相模国風土記稿』にも掲載されています。制作期、奉納期、奉納者名などが明らかで山北とも縁のふかい兜として貴重なものです。なお、勝興は初め豊臣秀吉方、のち徳川家康方大名となった加藤嘉明(よしあき)の家臣です。(嘉明の母は河村氏出身
(山北町HP)(写真:鐘楼)

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山北町岸のヒキガエル集合地
ニホンヒキガエルは動物学上、学術研究上また日本の理科教育上貴重な生物である。この地区はヒキガエルが多産し新編相模風土記稿にもこの地区の「蛙合戦」が載っていて、歴史的にも非常に古くから現在まで繁殖地としての蛙合戦が続いている。毎年3月上旬から下旬にかけて多数のヒキガエルが池に集まり産卵をする。やがて卵より生育したヒキガエルは6月頃山に帰っていく。これは昔より今日にいたるまで年々繰り返されていることで、いつまでも蛙合戦が続いていくように保護するため、ここに天然記念物に指定した。(神奈川県教育委員会・山北町教育委員会)

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東光院山門/岸 東寺真言宗のお寺です

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本堂                 石造群
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境内から浅間山を望む

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街道の風景④ 木陰から振り返ると丸山が望めます、いい風景です/岸

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石仏群                「水緑まんぷくコース」の標識

『水緑まんぷくコース』

河川敷の平地やハイキングコースの上り坂などバリエーション豊かな道を歩きます。上り坂は勾配も緩やかで歩きやすい道です。トイレもあるので安心です。歴史ある酒水の滝や河村城址公園を通り山北の歴史に触れ、滝と森の中で癒しを体感してください。森の緑と水の青、山北町の魅力がつまったコースです。東山北駅-ぐみの木公園-般若院-河村城址公園-洒水の滝-山北駅 距離:9km

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街道の風景⑤ 浅間山の南麓です、城の古都では「小田原道」と記されています/岸バス停

県道74号小田原山北線
小田原市(城山中学校入口交差点)と足柄上郡山北町(岸入口交差点)を結ぶ主要地方道である。Wikipedia

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八幡神社鳥居/岸

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八幡神社縁起・由緒
「新編相模風土記稿」(1841年)によれば八幡宮は『村の鎮守、本地仏三尊阿弥陀仏他安ず。3年に一度祭祀を行う。祭日は815日。往古は城山に在りしを、後年この地円月宮の社地に遷せしなり』と云う。加えて「般若院智積寺」の所存する真亨2年(1685年)当代11代伝栄和尚の筆による縁起より抜粋すれば『河村岸の鎮守正八幡大菩薩は、往古河村城山の城主・河村秀高公城内に建立せられ、建立の年代は不詳なれども秀高公開基、菩提寺般若院智積寺の建立が高倉天皇(11611181)の御宇治承2年(1172)なる故、正平841日(1353)瓦城落城するや岸湯坂梵天山山下に遷し、更にその後現在地に遷し奉り。村の鎮守の宮として村民の崇敬する所となれり』とある。(由緒書き)

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八幡神社のくすのき
山北町岸に所在する八幡神社入口にあり、樹高約20
m、根廻り約7.2mを有し、推定樹齢は約300年とされています。その姿は根元から約6mのところで大きく2つの幹に分かれ、しかも斜めに張り出した巨木で、葉は幹が隠れるほど茂っています。根元の小枝は関東大震災によって根元が裂け、その先端から生じたもので、学術的にも貴重な現象です。(山北町HP)





・・・山北

山北町
神奈川県の最西端に位置する町である。町内には1978年に完成した丹沢湖がある。横浜市から西へ直線距離で50km、神奈川県の最西端に位置し山梨県・静岡県と境を接する。町域の大半は丹沢山地であり丹沢大山国定公園に指定されている。国道246号や御殿場線など主要な街道や鉄道路線は町の南部に集中し、町域を東西に貫通しており市街地もそれに沿っている。渋滞ポイントとして知られる都夫良野トンは山北町の都夫良野地区にある。明治時代、東海道本線の開業とともに交通の要衝として栄えたが、同線が丹那トンネルの開通により経路を変更し御殿場線となって以来鉄道中継地としての役割は低下した。Wikipedia

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街道の風景⑥ 浅間山の東麓にあたります、右手に室尾神社があります/山北

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室生神社(むろうじんじゃ)/山北

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御祭神は建御名方命、倉稲魂命、誉田別命、木花咲耶姫命、天児屋根命、弟橘姫命、速玉男命、素盞嗚命、大山祇命、日本武命、大日孁貴命、玉依姫命、大山咋命、大己貴命、菅原道真です



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流鏑馬神事
室生神社の流鏑馬神事の由来は、治承4年源頼朝公が石橋山に旗揚げした折、河村城主義秀公は平家方である大庭景親に味方した罪にとわれ、領地河村を没収され処刑されるところを、景親の兄・大庭景能に助けられ隠われていたところ、建久元年鎌倉に於いて流鏑馬行事が行われた時、たまたま欠員ができたのでその代替として参加し、その抜群の妙技によって罪を赦され旧領河村復帰できたことを記念し、年々行われる様になったと伝えられています。そして780余年の間農民の手によって引き継がれて来たものであります。また、昔から一の的は早稲(わせ)、二の的は中稲(なのて)、三の的は晩稲(わくて)として、その的の当たる矢によって翌年の稲作の値付けの占いとしてきたものであります。(室生神社)

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神馬でしょうか?           境内の石造群

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室生寺のいちょう
山北町山北に所在する室生神社境内にあり、樹高約25m、根廻り約9.8mを有し、推定樹齢は約300年とされています。幹が根元から南北2本に分かれ、いずれも雄大な姿を呈する雌株です。(山北町HP)


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室生神社のぼだいじゅ
山北町山北に所在する室生神社(むろうじんじゃ)の境内にあり、樹高約25m、根廻り約4mを有し、推定樹齢は約300年とされています。幹が根元から4本に分かれ、それぞれが高く伸び美しい樹形をした巨木です。昭和59年にかながわの名木100選に選ばれています。(山北町HP)

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水屋・水船石/山北
先代の人々が苦労し長年生活の糧と共に飲料水を大切にしたる文化遺産を此処に保存する(宮地水道組合)

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街道の風景⑦ 浅間山東麓の里を河村城址に向かいます

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道祖神                城址への標識(お寺からも行けます)

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盛翁寺(せいおうじ)参道/山北 曹洞宗のお寺です

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本堂                 観音堂

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やまきた観光案内図
(黄:水緑まんぷくコース 橙:245号)

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山北辺地図 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(赤:水緑まんぷくkコース 緑:矢倉沢往還 橙:246号 青:酒匂川)

by Twalking | 2018-06-08 17:54 | 古東海道関連(新規)

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