無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり松田&山北04-洒水の滝   

日時 2018.6.2(土)
天気 晴れ

相模国随一といわれる洒水の滝に寄り道しました。
なるほど幽谷にひっそりと落ちる姿は見事です。
ここは河村城址等とセットで歩くといいですね。

途中に「川村土功」の碑がありますが、
これを読むと富士噴火の降砂と土石流災害と
戦った歴史がわかります。

城址の説明にも「南に酒匂川、北に皆瀬川・・・」
とありましたが、往古、皆瀬側は城山の北を流れて
いたようです。南に背替えしたんですね・・・。


・・・日向(山北町)
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街道の風景① 田んぼの道を通り前方の谷間へ向かいます/日向

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途中の道祖神                    鎮守さまでしょうか

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日向用水の由来
日向用水は地区の伝承によると、度重なる酒匂川の氾濫により高瀬堤防の決壊と河床の低下が幾度となく起こった為、用水の取水口は上流への移動を余儀なくされ、ついには酒匂川皆瀬川合流地点で取水するまでになり、俣野地区を経て城山西裾岩盤に用水路を確保し日向へと通水されました。江戸時代後期相次ぐ災害により用水路の確保が困難を極めていたおり、名もなき夫婦者が高瀬堤防の際に小屋を建て、城山西裾素掘り隧道を掘る作業に着手しました。

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隧道の完成を見たのは着手した時生まれた子供が歩くようになった頃と言われ、そのことから工事期間は3年位かかったと思われます。隧道の長さは約90で、日向側より50m位は腰を屈めて通れますがその先は腹這いにならなければ通れないほど大変な作業だったことが伺しれます。この隧道の開通は日向水田約八丁歩の収穫量安定の礎となり今日の繁栄をもたらしました。高瀬橋の架け替え、道路の拡幅などで往時を偲ぶ一助となればと建立するものです。(日向耕地組合)

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街道の風景② 山間から滝沢川が酒匂川に合流します/高瀬橋



・・・平山

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街道の風景③ 洒水の滝入口、この県道は矢倉沢関所に通じているようです/滝沢橋

神奈川県道726号矢倉沢山北線
南足柄市と足柄上郡山北町(樋口橋交差点)を結ぶ一般県道。主要地方道御殿場大井線の矢倉沢バス停付近から北に分かれて山北町方面へ向かう。Wikipedia

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棚島神社鳥居と参道階段/平山

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拝殿                   北に東名吾妻橋を望みます


・・・洒水の滝

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洒水の滝
酒匂川の支流・滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている名瀑です。「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すといいます。雄大なその姿は三段からなり落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では「蛇水の滝」と記されています。この滝は鎌倉時代の名僧文覚上人が百日間も滝に打たれる荒行を積んだ地としても知られており、付近には文覚上人が安置したといわれる滝不動尊(不動明王「穴不動」)があります。毎年、7月第4日曜日に行われる「洒水の滝祭り」では、洒水太鼓をはじめとする太鼓の競演、滝不動尊境内での火祭りが行われます。火祭りの後御幣は無病息災のご利益があるといわれ、人々は競って持ち帰ります。Wikipedia

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滝へは滝沢川沿いに散策道がついています

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散策路                滝沢川

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ここまでは車でも来れますが、歩く方がいいですよね!説明板の先から21世紀の森への道もありました

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神奈川県指定名勝-洒水の滝
酒水の滝は足柄上郡山北町にあって、平山の滝又は灑水の滝(しゃすい)といわれていたがいまは一般的に酒水の滝と呼ばれている。その水源は西北を限る800m及び500mの連嶺の東南方山地の水を集めて流れるものである。付近一帯の地質はよく磨かれた大小の礫を含む岩層で、第三世紀足柄層と呼ばれている。この足柄層の降起に伴って生じた裂線を浸食する湧流が標高300mから200m位まで3段の瀑布となっている。その高さは三の滝29.7m、二の滝16m、一の滝69.3mあって、以下滝沢川となって酒匂川に合流する。浸食谷の入口平山から滝壺までの間には礫岩層が至所に横たわって滝沢川不断の浸蝕によって滝口が後退し、現在の絶壁に東面してかかっている。滝は関東屈指の名瀑である。(神奈川県教育委員会)

灑水

灑水は洒水(しゃすい)とも書きます。そそぐ・清らか・洗うという意味を持ちます。灑水は身をはじめとして道場や、いろいろな物を清めるときに使われます。散杖(さんじょう)あるいは灑水杖と呼ばれる木の棒で、器から少し灑水用の香水を取り、注ぐように撒いたり散布するように撒きます。(やさしい仏教入門)
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渓谷らしくなってきました、この先が展望台、その少し先まで行けます

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見られるのは第3の滝だけです/展望台

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その先、橋の所まで行けます

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幸せ達磨/展望台              名水の滝百選の碑/橋の手前


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滝への散策路の途中に丹沢山別院最勝寺があります。詳しいことは分かりまが東光院が別院として開山されたお寺さんでしょうか??

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本堂                 こちらにも風車のお地蔵さん

丹沢山東光院の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/26880138/

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常実坊

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平山洒水の滝不動尊常実坊
洒水の滝傍らにあり滝堂とも呼ぶ龍王山誓源寺と号し天台宗なり。古くは平山原480にあり、明治21年頃平山の住人古瀬喜作氏の寄進である現在地に建立される。往昔、文覚上人百日の荒行をなせし時の御作不動明王を安置すと云う。これより洒水の滝不動尊と呼ぶようになり、霊験あらたかにして足柄地域はもとより遠く京浜地域までその信者多く集うようになる。明治6年時の大僧正・桜井敬徳、元老院議官・町田久成両氏の紹介により滋賀県大津の円城寺(三井寺)の山中より常実坊遷座奉る。これより平山洒水の滝不動尊常実坊とよぶようになる。

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伝文覚上人御作不動明王像おん丈53cm、石刻座像、一部色彩色。素朴な厨子に鎮座し、前にせいたか、こんからの両童子控う。上人は平安末期から鎌倉初期の真言僧、俗名遠藤盛遠、元上西門の北面武士、誤って袈裟御前を斬り一念発起得度し熊野、高雄を初め山岳修験を重ね験力著しき修験者となった。神護寺再興について後白河上皇の忌避にふれ伊豆に流されている。この頃頼朝の知遇を得る。当地の修法はどの頃か詳らかざるもこの頃であろう。後略(説明板)

文覚

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)。摂津源氏傘下の武士団である渡辺藤・遠藤氏の出身であり、北面武士として鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていたが、19歳で出家した。京都高雄山臣護持の再興を後白河天皇強訴したため、渡辺党の棟梁・源頼政の知行国であった伊豆国に配流される(当時は頼政の子源仲綱が伊豆守であった)。文覚は近藤四郎国高に預けられて奈古屋寺に住み、そこで同じく伊豆国蛭ヶ島に配流の身だった源頼朝と知遇を得る。のちに頼朝が平氏奥州藤原氏を討滅し、権力を掌握していく過程で頼朝や後白河法皇の庇護を受けて神護寺、東寺高野山大塔、東大寺、江の島弁財天など、各地の寺院を勧請し、所領を回復したり建物を修復した。Wikipedia



・・・山北駅へ

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街道の風景④ 現在の酒匂川・皆瀬川の合流地です。皆瀬側は246号、その先の東名吾妻橋の谷間を抜けてきます。右手にスポーツ広場、左手に山北発電所があります/足柄橋(酒匂川)
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街道の風景⑤ 河村城の西端は酒匂川に面した急峻な崖になっています/足柄橋

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足柄大橋               246号樋口橋を直進します

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川村土功之碑
川村は明治22年(18894川村山北川村岸川村向原3村が合併して誕生、明治8年(1932)に山北町となる。土功とは大地をつかさどること、文命堤の碑文にも土功の字がある。碑文は元禄161703)の大地震、翌年から2年続きの大水から始まる。宝永4年(170711月には富士山噴火の降砂による災害復旧のため、宝永5年小田原藩領の足柄上・下郡は幕府代官の支配となる。皆瀬川から流れ出す土砂で湖水と化した川村山北は日向組・日陰組両名主を中心に皆瀬川の流れをに替える瀬替を請願、宝永6年伊勢国津藩藤堂氏の手伝い普請となり、18日間の工事で掘割として実現した。その後、村民は灌漑・生活用水の確保に努め享保19年(1734)皆瀬川からの川入堰、元文4年(1739)板橋沢からの御関所堰、天明2年(1782)には名主湯山弥太右衛門らによる4年の工事で酒匂川からの瀬戸堰が完成し、寛政年間に川村岸分水する。瀬戸堰の取水口はさらに上流へ開削されて川村3ヶ村の水田を潤し、現在も東電発電所水路から取水し、川村用水として活用されている。碑の建立は明治26年(18937月大磯の漢学者伊東希元の撰文、裏面に発起人6人、賛成人89名の氏名が刻まれている。(山北町教育委員会)

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皆瀬川                樋口橋

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街道の風景⑥御殿場線に沿って山北駅に下ります、左は県道725号です/山北橋

神奈川県道725号玄倉山北線
山北町を走る一般県道。丹沢湖東部の玄倉地区と山北町中心部を直接結ぶルートとなる予定であるが、2008年(平成20年)1月現在、起点から山北町皆瀬川までは通行不能(未開通)である。全長:10.1km(不通区間3.8㎞)Wikipedia

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街道の風景⑦ 御殿場線は掘割、この道も歩きやすいいい道です

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山北鉄道公園/山北駅
神奈川県山北町に位置する都市公園(街区公園)である。御殿場線山北駅の沼津方先端にあり、鉄道公園として1970年(昭和45年)に開園した。山北がかつて「鉄道の町」として重要な役割を果たしていたことを残す数少ない施設の一つ。御殿場線が東海道本線から格下げされた後、箱根の峠の急勾配を越えることが可能な大型蒸気機関車として活躍したD5270号機が静態保存されている。また、夜にはスポットライトでライトアップされ、闇の中に浮かぶ勇壮な姿が美しい。すぐ脇を御殿場線が走っておりこの公園付近の「山北の桜並木」は花見スポットとしても有名である。Wikipedia)

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「水緑まんぷくコース」変化に富むいいコースですね、楽しませて頂きました/山北駅

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山北町観光案内図(黄:水緑まんぷくコース 橙:246号 青:酒匂川・皆瀬川)

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松田&山北ルート地図
(赤:歩行ルート 緑:矢倉沢往還 赤丸:松田城址・河村城址)

by Twalking | 2018-06-12 19:38 | 古東海道関連(新規)

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