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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 烏山川緑道(世田谷区)03-若林~合流地   

日時 2019.2.7(木)
天気 晴れ


世田谷の旧中心地から太子堂、三宿を通り目黒区へ、
三軒茶屋は大山道の追分で今も活気があります。
川筋は静かな住宅街、落ち着いたいい街並です。

太子堂界隈は古い道が残っていて風情があります。
「鎌倉通り」とあるので、調べて見ると中道の支道
のようです、本路と合わせて歩きいてみたい道です。
大橋から開渠となりますが、流れがある方がいいですね。



・・・若林

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1585年(天正13年)には世田谷城主・吉良氏朝が家臣の周防上野介に「若林分」を分け与えている。 江戸時代には荏原郡世田谷領若林村となり、正保・元禄の頃より千人同心・志村氏の知行となった。1672年(寛文12年)長州藩が小名西三谷18300坪の土地を買い取り抱屋敷とした。現在の若林4丁目一帯は藩主毛利氏の官位「大膳大夫」に因み大夫山、或いは長州山と俗称された。1863年(文久3年)吉田松陰が故塚原回向院から長州藩屋敷内に改葬され、1882年(明治15年)松陰神社が建立された。1888年(明治22年)町村制施行により若林一帯は世田谷村の大字となった。若林とは新田を意味する古い表現、または開発造成され植林された若い木の並んでいるところを指すと考えられているが、正確な由来は不詳である。(Wikipedia

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川の風景① 右に登ると国士舘大・区役所になります/勝橋

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いい道ですね~/中堰橋         右に行くと若林駅です/天神橋

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若林天満宮鳥居


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若林天満宮
北野神社・牛天神とも呼ばれ、祭神・菅原道真公を祀り学問にご利益があるといわれています。その歴史は古く応永8年(1401)に武蔵国深大寺の僧・花光坊長弁が連歌の法楽を興行したと記録が残っています。環七ができた時に境内の3分の1以上の土地が削られましたが、地元の人々を始め多くの人々に天神様として親しまれ毎年1月には初天神祭を盛大に執り行われます。(若林町会HP)

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街道の風景① 左が若林駅、川はビルの所を横断しています/環七・若林踏切

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若林踏切
当駅の三軒茶屋方至近距離にある踏切で東急側では「西太子堂5号踏切」と称する。環七通りを横切る唯一の踏切である。一般的な鉄道の踏切と違って遮断機はなく、信号機によって交通を制御している。かつては遮断機のある一般的な踏切であったがモータリゼーションによる環七通りの交通量増大に見合わなくなったために1966年(昭和41年)に現在の形式に変更された。(Wikipedia

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若林稲荷神社鳥居


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若林稲荷神社
祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)である。当神社の由緒によれば「当社ヲ福寿稲荷ト云、三反五畝ノ除地ハ明和64月地頭ヨリ寄附セリ、神体長サ五寸許、三衣ヲ着シ白狐二跨レリ、彩色ヲ施シ彫工イト巧ミナリ、祭礼921日、神楽ヲ奏セリ」とあり、なお神社の記録によれば『本社間口壱丈奥行弐間、但シ木造 拝殿間口三間奥行三間、但シ木造、境内坪数318坪、(104942)境内立木31本、内目通一尺以上五尺未満21本、目通五尺以上一丈未満10、什器一、幟一対、手洗鉢一個、鳥居一台、右之通り相違無之候也、明治17年』とある。すなわち明治17年ころは樹木鬱蒼とし大木に囲まれた神社であったが、昭和20年に戦災にあい、現在では銀杏その他10教本の樹木があるのみである。なお神社には「正一位福寿稲荷大明神」と記した縦1.5m、横0.6mほどの古い額があったが戦災で焼失してしまったという。祭礼は97日。(せたがや社寺と史跡)

大山街道(若林周辺)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/22614408/


・・・太子堂

鉄道の駅は三軒茶屋駅、西太子堂駅が設置され、幹線道路は国道246号線、世田谷通り、茶沢通りが通る。三軒茶屋駅周辺と世田谷通り沿いに商業地が広がりその他は住宅地が多い。河川は東西に烏山川が流れるが暗渠化されて緑道となっている。地形的には一丁目は概ね平坦だが、二・四丁目と三・五丁目の中央を通る烏山川緑道に向かって急な坂も点在している。(Wikipedia


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川の風景② 正面にキャロットタワーが見えてきます/耕整橋

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太子堂八幡神社鳥居


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太子堂八幡神社祭神:誉田別命)
当社の鎮座年暦不詳なれど旧当社別当円泉寺開基の縁起によれば、文禄年間(1592-1596)創祀されたとあるが、平安時代後期源義家が父頼義と共に朝廷の命をうけ陸奥の安倍氏征討に向う途中この地を通過するに際し、八幡神社に武運を祈ったと伝えられている事から少なくともこれより(文禄年間)以前に里人により石清水八幡宮の御分霊を勧請し村の守護神として祀った事はあきらかである。

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太子堂の歴史の一頁を開いてきたものに鎌倉道がある。太子堂と若林の村境を通って八幡神社の西側から滝坂道を横切り下北沢と代田の境を通って鎌倉へ通ずる道で鎌倉道と呼ばれ、古い時代には行きつく目的地の名を取って付けたようである。此の鎌倉道の附近に義家は諸将兵に命じ駒を止め同勢を憩わし酒宴をはった太子堂上本村121-122番地の辺を(5丁目)土器塚と云い、酒宴後の土器など此の地に埋めたのでそう呼んだのである。その塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは、同勢を憩わした名残である。真言宗豊山派円泉寺境内に聖徳太子像を安置し、それより太子の号をとりて部落の村名とした。以上は古老の伝承、武蔵風土記等を参照記したものである。(境内掲示板)

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弁天社
弁天社は元々インドの音楽・芸能の神仏教とともに伝えられました。弾いている琵琶の形が水を掬う瓢(ひさご)に似ていることから水の神になり、厳島の神と同じとされました。また財宝の神ともされ七福神の一つに数えられます。当社の弁天様は烏山川に架かる弁天橋のたもとに水・農耕の守り神として祀られていましたが昭和27年に現在地に遷されました。(パンフレット)

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稲荷神社
稲荷神は元々稲・穀物・食物の神で、御神徳は衣・食・住を守り、更に商売繁盛・殖産興業など広くに及び社内や会社の守護神ともされます。当社では八幡神社のお食事を司る御食神として祀られております。狐は稲荷神の御使いとされています。(パンフレット)

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立地
幹まわり4mを超える大きなを中心に大小数百本の樹木に囲まれた杜に太子堂の町々をお守りする八幡神社が祀られています。烏山川の北方に位置するこの地は、関東ローム層の固い安定した地盤で、に向かって緩やかな斜面は神を祀る社殿を建てるのに最もふさわしい所で。西側には若林する鎌倉に通ずる古道(鎌倉道)に接し、昔は交通の要衝でした。(パンフレット)

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教学院境内 奥が本堂、右手が不動堂です

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教学院
教学院は竹園山教学院最勝寺という。慶長9年(1604)玄応大和尚の開基になり江戸城内紅葉山にあったが、後赤坂三分坂に移転した。更に寛永8年(1631)第5世法印岸能大和尚のとき青山南町4目に移ったが、延享年間と宝暦年問の2度の火災で古記録を失いその間の詳しいことは明らかではない。元禄年間までは麹町山王成琳寺の末寺であったが、貞享4年(1687)旧相州小田原の城主大久保加賀守菩提寺となって寺運隆盛となり、東叡山輪王寺の直末寺となった。後に大寺の格式となり比叡山延暦寺の末寺となった。明治41年、第17世権僧正寛葆大和尚の代に太子堂町の現在地に移転した。本堂に恵心僧都作の阿弥陀如来と聖徳太子の作といわれる聖観音像を安置している。

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別堂には不動明王像を安置してありこれが目青不動尊である。これは目黒不動、目白不動、目赤不動、目黄不動と共に江戸五色不動の一つとして有名である。この像はもと麻布の観行寺の本尊であったが、同寺が廃寺となったので明治15年青山南町4丁目にあった教学院に移され、青山のお閻魔さまといわれていた。この像の右脇侍は閻魔大王、左脇侍は奪衣婆が安置されているので、この不動堂は一名閻魔堂ともいわれる。なおこの像の作者は目黒不動尊と同一人といわれている。(せたがや社寺と史跡)

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街道の風景② 大山道の追分です、茶沢通りを左折して戻ります/三軒茶屋交差点

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三軒茶屋
三軒茶屋という地名は、江戸時代の中頃から大山道(矢倉沢往還)の本道(現世田谷通り)と近道(現玉川通り)の分岐点近くに田中屋設楽屋(しからぎ・後に石橋屋)、角屋という3軒の茶屋があったことが起こりといわれています。この茶屋はみな座敷に膳を整え、茶屋娘を置く立派な構えの料理茶屋でしたが、一方店の前に床几を並べ、葭簀(よしず)を立て道行く人々にお茶の接待もしていました。江戸時代は大山街道や多摩川行楽の人びとの休み処として栄え、回りには髪結床や煙草屋などもありました。明治以降シャボン屋、立ち飲みのできる酒屋、駄菓子屋、魚屋などいろいろな店が増え、明治40には玉川電車も開通して次第に盛り場としての体裁を整えてきました。(案内板)

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キャロットタワーCarrot Tower
世田谷区太子堂にある商業施設及びホール施設併設のオフイスビル。三軒茶屋駅周辺の再開発事業により1996年(平成8年)に完成した。東急世田谷線に直結、東急田園都市線三軒茶屋駅にも地下通路で接続されている。周囲に中低層の建物が多い中、レンガ調外壁の一際目立つ建築物で周辺のランドマークにもなっている。地上27階(124m)(Wikipedia


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茶沢通り
三件茶屋と下北沢、東北沢を結ぶ世田谷区道の通称。三軒屋と下北を結ぶ道路であることから茶沢と命名された。

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川の風景③ 茶沢通りに架かる大師橋から西へ向かいます

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合流点から1kmの標識         人工の流れが作られています

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世田谷百景5-太子堂下ノ谷界隈
茶沢通りの中程から入ったところに下ノ谷商店街があります。下町情緒の懐かしい雰囲気の店が並んでおり、第1・第3日曜日の朝9時から10時まで朝市で賑わいます。街と人びとが作り出す原風景とでもいったものが見られる一帯です。(案内板)


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歴史と文化の散歩道-松陰太子堂散歩
松陰太子堂散歩は淡島通りから烏山緑道に沿って太子堂を経て世田谷線の上町駅までの約4.6kmの道のりです。聖徳太子堂のある円泉寺、吉田松陰ゆかりの松陰神社、井伊家の菩提寺である豪徳寺、かつての世田谷の中心・世田谷城址などを巡ります。(案内板)

歴史と文化の散歩道の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/21642253/

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円泉寺山門


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円泉寺
真言宗、聖王山、法明院と号し、開山は賢恵僧都で葛飾郡新堀村の生れである。円泉寺の建立由来書によると、文禄1年(1592賢恵僧都大和国久米寺から聖徳太子像十一面観世音を背負って関東へ下った。文禄4年当地に来て一泊した時、賢恵僧都が不思議な夢をみた。聖徳太子が告げていうには「この地に霊地あり円泉ケ丘といふ。こ霊泉湧き出づ、永くここに安住せん。汝も共に止まるべし」と。翌文禄512月本堂、聖徳太子堂、庫裡が完成、本堂には運慶の作といわれる長さ約1mの十一面観世音立像を安置して本尊とした。

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太子堂は境内の中央にあり、約2間半4方で長押に長谷の僧正動潮の筆になる「太子堂」の扁額がある。聖徳太子の像は約11寸で弘仁9年(818)春、天下に大疫病流行の時疾疫の消除と国民擁護のため、弘法大師がこの尊像を精魂こめて作られたものと伝えられ、難症難治の病をいやし給うた諸顧成就の尊像である。この堂が出来てから土地は繁栄し一つの村をなすようになり、太子堂の号をとって太子堂村というようになった。円泉寺には現在泉は湧き出ていないが、この辺りは太子堂町でも低い所で、円泉が丘すなわち今の国立小児病院一帯に樹林が繁茂していた昔は、霊泉の湧き出る清浄な所であったと思われる。

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また、境内には世田谷教育界の大恩人である宮野芟平先生の碑がある。明治3年に世田谷村、松沢村、玉川村、目黒村、碑衾村の有志が協力して「郷学所」を作り宮野先生を迎えた。この郷学所は今までの寺子屋と違い新時代に適した教材と、四民平等の新しい思想によって身分の上下を問わず教育した。明治443日、太子堂村380番地に立派な校舎を新設し、「太子堂郷学所」と命名し、明治62月東京府の指令で「幼童学所」と改称され、明治612月「太子堂幼童所」をそのまま新学制の小学校にし「第二中学区第四番小学荏原学校」となる。ここに世田谷区内で第1番目の小学校が生まれたわけで、宮野先生はその初代校長に任命され、以後引き続き校長として世田谷の教育に尽力し明治283月現職中に逝去した。先生の高徳を長く後世に残すために明治20年荏原小学校が火災にあい焼失したとき一時仮校舎であったこの円泉寺の境内に頒徳の碑が建てられた。(せたがや社寺と史跡より)

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せたがや百景6-太子堂圓泉寺とけやき並木
聖徳太子を祀った太子堂の由来から地名が生まれたという。明治4年、境内に「郷学所」が設けられ、世田谷の教育発祥の地となったところだ。ケヤキの大木の並木は、農村だったころ区内随所に見られた屋敷林の名残ともいえる。秋の境内は紅葉したケヤキやイチョウの落葉で黄色のカーペットが敷かれる。(せたがや百景)


・・・三宿

町全体が烏山川の削ったの斜面に位置し南側が三宿一丁目、北側が三宿二丁目、谷底部分が境となっている。この川は現在暗渠・緑道(遊歩道)化されており三軒茶屋や池尻大橋方面にいくことができる。川沿いのいわゆる境目付近に三宿神社が存在する。三宿神社のある小高い丘は多聞山と呼ばれ、過去には三宿城(多聞小学校敷地が本丸と比定されている。現在の住所は池尻)、多聞寺が存在したが、明治維新後の明治政府による廃仏毀釈の影響で多聞寺は緊急に神社化され、前述の三宿神社となった。故に現在も神社脇に旧寺の墓地が存在する珍しい状態となっている。(Wikipedia

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川の風景④ 小学生が描いた川の絵がレリーフで飾ってあります

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三宿神社鳥居


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三宿神社
祭神は倉稲魂命をまつった稲荷社であるが、毘沙門天(木像1尺位)も祀られているので一名毘沙門様とも称せられている。昔多聞寺(現在廃寺)の境内にあった毘沙門堂の本堂をうつしたものと伝えられ、現在の社殿は昭和42年の建築である。三宿の氏神で例祭は923日であるが、奉納される神楽のうちにたぬきはやしがあるが、これは養老の滝の物語の孝子がたぬきを助けたという伝説にちなんだものだといわれている。二の鳥居の傍に昭和31年土地の有志が建立した石碑がある。この石は旧江戸城に築かれていた城石だということで表の面に、過去五百年之進歩道灌不知 未来五百年之進歩我等不知 石又沈黙 江戸城築城之石 大田道灌築城五百年 武者小路実篤 とある。(せたがや社寺と史跡より)

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一帯は小高い丘、多聞城が置かれていたそうです・・・、南側の丘に矢倉沢往還(大山道)が通ります


・・・池尻

旧・荏原郡池尻村。吉良氏の部将である橋本天王丸の子・兵庫重寿17世紀前半に開発したとされている。1945年までは国道246号の南側(池尻1丁目と2丁目)のほとんどの区域を陸軍の練兵場が占めていた。そのためこの地域には陸上自衛隊の三宿駐屯地や池尻小学校・(旧)中学校、世田谷公園そして国家公務員官舎や都営アパートなど国や東京都の建物が集中して建築されている。北沢川と烏山川が合流し目黒川となる付近で沼沢地帯を為していた。池尻の「」とは「出口」という意味で池や沼や湖が川に落ちる部分のことを示している。「いけしり」や「いけのしり」という呼称もある。(Wikipedia

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川の風景⑤ 北沢川と合わせ、ここから目黒川(緑道)になります

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川の風景⑥ 目黒区に入り緑道の案内も「緑の散歩道」に変わります

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目黒川緑道の終点           246号を横断します/大橋

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川の風景⑦ ここからは開渠、やっぱり流れがあった方がいいですね!いずれまた・・・/大橋

大山街道(池尻大橋付近)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/22555139/

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「ふれあいの水辺」案内板
(緑:烏山川緑道・北沢川緑道 橙:大山道 紫:滝坂道 緑:鎌倉道)

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太子堂周辺地図 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(青:烏山川緑道 紺:北沢川 橙:大山道 紫:滝坂道)

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世田谷地形ジオラマ(部分)/世田谷区立郷土資料館
(青:北沢川・烏山川・蛇崩川 青角:合流点 橙:大山道 紫:滝坂道)

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烏山川(緑道)流域図
(紺角:源流域・北沢川合流点 赤:旧甲州街道・大山街道 紫:滝坂道)

烏山緑道02(船橋~若林)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/27437851/

by Twalking | 2019-02-14 18:58 | リバーサイドウオーク(新規)

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