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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉道中道(西回り)(1)二玉川~笹塚-03羽根木   

日時 2019.5.3(金)
天気 晴れ

東松原商店街を抜けると住宅地になりますが、
笹塚に向かって直線路が続きます。
駅手前の区境で若林からの旧街道と合流します。

北沢川を歩いた時に「鎌倉通り」を知りましたが、
この通りは若林から下北沢を通り笹塚への中世?の道です。
歩いてみたいと思ってましたので足を延ばしました。



・・・羽根木

世田谷区の北東部に位置し、周囲を松原・大原・代田の各町に隣接する。同名の羽根木公園は世田谷区代田にある。町の東辺を環七通が通り、南辺は京王井の頭線が通る。北辺は水道局和田堀給水所と接する。旧・荏原郡世田ヶ谷村字羽根木。羽根木の由来には諸説ある。(Wikipedia


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街道の風景① 井の頭線の踏切を越えて北へ、笹塚を目指します/東松原駅

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東松原駅西から北へ、静かな住宅地を行くと羽根木の商店街となる。左側に子育地蔵尊4基の庚申塔があって古道らしさを示している。その先、環七通りを越え北に曲がると東西の道に出会う。その手前に若林から来る旧街道合流する。その北は細い道で中央に車止めの杭を打ってある。(鎌倉街道探索の旅/芳賀善次郎著)写真:東松原駅

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子育地蔵尊由来
今を去ること凡そ300年享保の頃、永年にわたり天候不順にして五穀稔らず悪疫流行して、里人大いに苦しみなすすべを知らず。この時、地蔵菩薩一古老の夢枕に立ち、里人の苦悩を見るに忍びず、吾を石橋のほとりに祀れ、必ず救いとらせんとのたもうこと毎夜なり。

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古老恐懼して里人達とはかり、当武蔵国荏原郡世田谷村字羽根木の在一里塚のそばに地蔵尊を勧請し、勧業を怠らざるに、いくばくもなく天候定まりて五穀豊穣、悪疫終息せり。これをみな地蔵尊のご利益なりと崇敬す。その後、代々由来を伝え崇敬変わらず。殊に若き母親生まれ出る子供のため、その乳の出ることを願いまた稚児のくさの平癒を願うに、その霊験あらたかなり。よって人々これを子育地蔵尊と尊称したてまつり今日に至る。地元羽根木世話人一同その尊像のご安泰を願い御堂を修復し、いつまでも霊験いやちさかなるを祈るものである(羽根木神社子育地蔵尊世話人一同)

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街道の風景② その先にケヤキ並木の参道があります、よく残りましたね・・・

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せたがや百景-羽根木神社の参道
都水道局和田堀給水場近くに羽根木神社の小さなお社がある。今は家が建て込んで、農村だったころの面影はほとんどないが、社まで続いた参道のケヤキ並木が地元住民の運動によって一部残されている。風景変遷のものいわぬ証人だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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羽根木神社鳥居/羽根木

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羽根木神社
祭神は宇迦能御魂神を祀った神社である。以前は羽根木稲荷神社と称していた。創建については判明せず、羽根木という名称は「新編武蔵風土記稿」に『小名羽根木東北ノ隅ニアリ』と記事あり、小名としてはよほど古きものと思われる。神社関係者の説によると最初は誰かの内宮であった。その後、細野嘉十郎、稲山新太郎の所有の土地となっていたがその特志によって寄附されたという。神社敷地249坪(821.72)祭礼は914日。神社入口に石碑があり表に「羽根木神社」裏に「祭神宇迦能御魂神、昭和255月戦災の為神社神木等焼失に付崇敬者一同の浄財により新築整備す。昭和239月氏子中、芦沢新平謹書」と彫刻してある。(せたがや社寺と史跡)

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街道の風景③ 特に案内板もないのでこの道が「鎌倉道」とは分からないかも知れませんね

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環七を横断します/羽根木        左手が「柳澤の杜」です/大原


・・・大原

大原は昔は代田村の一部で萩久保、西大原、東大原という三つのから成っていました。大原はその名のとおり「広い原っぱ」ということから付けられた名ですが、土地はだいたい海抜40mから45mほどの大地で、西側には50mほどの高所があります。(「ふるさと 世田谷を語る 代田・北沢・代沢・大原・羽根木」(平成93月発行)(地名由来/世田谷区HP)

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緑が多くていいお庭・・・、憩えます

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大原一丁目・柳澤の杜
名前の由来:個人の想いにより残されたことに由来
この緑地は地域の原風景や自然環境を保全しながら区民に憩いの場を提供することを目的に、土地所有者と契約を交わし地域の皆さまに公開しています。(説明板)

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柳澤家住宅主屋/国登録有形文化財(建造物)
建築年代:昭和26年(1951) 昭和54年(1979)改修 建築面積:52.282㎡ 設計者:伊東安兵衛柳
澤家住宅は玄関・ホール・四畳半に納戸(旧台所)と便所を配した小規模な住宅です。外観の特徴は庭に面し化粧貫を用いた妻を見せているところです。内部のホールは暖炉がある洋室でありながら床構えをもち、天井に民家風の梁を組んでいます。ホールと四畳半に設けられた段差、三枚戸の襖とガラス戸の仕切りなどは昭和20年代、戦後復興期小住宅によく見る間取りです。建物の内外に伝統民家の構成を引用した建物で、戦後に民家風住宅を多く手がけた伊東安兵衛の作風をよく現しています。(世田谷区教育委員会)

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街道の風景④ 世田谷と渋谷区の区界あたり、ここで若林からの旧道と合流します/大原

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その手前井の頭通りを横断       やがて笹塚のビル群が見えてきます


・・・・笹塚/渋谷区

渋谷区
北西部の地区、武蔵野台地に位置し中央を国道20号(甲州街道)が横断、1913(大正2年)調布~笹塚に京王電気軌道(現・京王線)が開業し住宅地化。1960年(昭和35年)の町名地番変更により住居表示は笹塚一丁目から三丁目まである。地形的には武蔵野台地上に位置し概ね平坦である。河川は本町四丁目から幡ヶ谷三丁目、笹塚三丁目にかけてかつてあった神田川の支流に沿って浅い谷になっていた。笹塚一丁目には嘗て玉川上水の流れが西から東に大原、北沢との境界を蛇行しながら縫うように流れていたが、笹塚駅周辺の一部は開渠のまま残されているが殆どは暗渠化されて遊歩道として整備され緑道(公園)として整備されている。(Wikipedia

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街道の風景⑤ 行けそうですね・・・、笹塚駅前へ通じています/笹塚

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笹塚駅前                流路跡です

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玉川上水の風景、この部分は開削、いいですね!

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街道の風景⑥ 甲州街道(20号)です、向に「笹塚跡」があります。分岐へ戻り「鎌倉通り」を若林方面へ行ってみます

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笹塚跡/笹塚二丁目昔、このあたりの甲州街道の南北両側に直径が1mほどの(盛土)がありました。その上に(または竹)が生い茂っていたことから笹塚と呼ばれていたようです。その塚が慶長9年(1604)に設置された一里塚であるかどうかははっきりしませんが、この塚に一里塚の印を記載している古図もあります。また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5(1916)に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から笹塚と呼び、今もそれが町名として残っているのです。(渋谷区教育委員会)



・・・若林への旧街道(鎌倉通り)

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街道の風景⑦ 右手が中道の本路、左の「鎌倉通り」を南へ向かいます/大原・北沢境

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合流点から南へ、若林までの旧道を行く。台地上を一直線に町の丁目境を行き、下北沢駅西側から目黒(暗渠で遊歩道になっている)に下ると鎌倉橋(注:北沢川)がある。(鎌倉街道探索の旅/芳賀善次郎著)






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井ノ頭通り
渋谷区宇田川町の渋谷駅前付近と武蔵野市関前にある境浄水場付近を結ぶ道路の通称。境浄水場から和田堀給水所までの間に水道管を敷設するための施設用地を道路に転用したために、以前は水道道路と呼ばれていたが、後に近衛文麿元首相によって井の頭街道と命名され、その後東京都によって井ノ頭通りと改められた。(Wikipedia

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街道の風景⑧ 中宅街の直線路、いい道です/大原・北沢境


・・・下北沢

世田谷区
の北東部に位置する地域名。この地域は東京府(武蔵国)荏原郡下北沢村であり、世田ヶ谷町への合併を経て世田谷区北沢代沢になった。概ね現在の北沢一丁目から五丁目および代沢二・三・五丁目並びに四丁目の北東部及び代田五・六丁目の東側のごく一部が旧下北沢村に該当する。元々の中心は現在の代沢三・五丁目付近、北沢八幡宮森厳寺・淡島神社分社や代沢小学校のある辺りであり、明治時代の旧版地図5万分1には「下北澤本村」の文字が見られる。現在も茶沢通り沿いに商業地域が形成されている。起伏のある地形からか「山谷」のつく字がいくつか見られた。1927下北沢駅開業後、元々水田地域であった同駅周辺に商業地が形成され地域の重心が移って行った。他の部分の宅地化は、帝都線(現:井の頭線)開通、池ノ上などの集落の形成を経て急速に進んでいった。(Wikipedia

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街道の風景⑨ 下北沢の北側、賑やかですね、井の頭線を渡ります

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井の頭線下北沢駅           越えると下りになります

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街道の風景⑩ 現在は地下になりましたが小田急の踏切があった所です/代田・代沢境

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閑静な住宅街です           北沢川へ下ります


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街道の風景⑪ 北沢川(緑道)に架かる鎌倉橋、ちょっとした渓谷の感じです

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街道の風景⑫ 淡島通り(滝坂道)を横断、ここまでが「鎌倉通り」のようです/代沢

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その先、東西に走るバス道(注:淡島通り)の南は細くなり、太子堂の八幡神社横から烏山川を直角に渡るため西南に向い、途中で消えるが世田谷通りに直角に交差する。(注:若林陸橋先)この旧街道は、鎌倉時代以後に開かれた道かと思われる。旧街道で、他の道から分岐したり合流したりする所が直角の場合は両方の道が古いが、鋭角の場合は室町以後の道であることが多い。代田で鋭角で分岐しているところをみると、典型的な室町期の道とみてよいと思う。(鎌倉街道探索の旅/芳賀善次郎著)

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街道の風景⑬ 細くなりますが旧道らしい道が烏山川へ続いています/八幡神社横

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太子堂八幡神社拝殿/太子堂

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太子堂八幡神社
祭神:誉田別命 大祭:10月第2日曜日当社の鎮座年暦不詳なれど、旧当社別当円泉寺開基の縁起によれば、文禄年間1592-1596)創祀されたとあるが、平安時代後期源義家が父頼義と共に朝廷の命をうけ陸奥の安倍氏征討に向う途中この地を通過するに際し、八幡神社に武運を祈ったと伝えられている事から少なくともこれより(文禄年間)以前に里人により石清水八幡宮の御分霊を勧請し村の守護神として祀った事はあきらかである。

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太子堂の歴史の一頁を開いてきたものに鎌倉道がある。太子堂と若林の村境を通って八幡神社の西側から滝坂道を横切り下北沢と代田の境を通って鎌倉へ通ずる道で鎌倉道と呼ばれ、古い時代には行きつく目的地の名を取って付けたようである。此の鎌倉道の附近に義家は諸将兵に命じ駒を止め同勢を憩わし酒宴をはった、太子堂上本村121-122番地の辺を(5丁目)土器塚と云い、酒宴後の土器など此の地に埋めたのでそう呼んだのである。その塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは、同勢を憩わした名残である。真言宗豊山派円泉寺境内に聖徳太子像を安置し、それより太子の号をとりて部落の村名とした。以上は古老の伝承、武蔵風土記等を参照記したものである。(境内掲示板)

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街道の風景⑭ 参道を南へ行くと烏山川、西太子堂の駅へでます。旧道は上流から若林陸橋方面へ向かったようです/烏山緑道

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北沢地域周辺地図 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(緑:鎌倉道 橙:甲州街道 紫:滝坂道 青:烏山川・北沢川)

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鎌倉道中道(西回り)(1)二子玉川~笹塚ルート図
(緑:鎌倉道 赤:大山道 紫:滝坂道 青:蛇崩川・烏山川・北沢川)

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by Twalking | 2019-05-11 22:39 | 鎌倉街道(新規)

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