無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 <   2018年 11月 ( 56 )   > この月の画像一覧   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 モニュメント-あしたのジョー   

d0183387_21170779.jpg

土手通り/台東区日本堤
やぁ~、ジョー、やっと会えたね。
「山谷」は君のふるさとなんだよね、
廻り道した甲斐があったな~・・・、ありがとう~!


あしたのジョー

ちばてつや作画、高森朝雄原作による漫画作品。不良少年の矢吹丈がボクシングに目覚め、戦いを通して成長していく姿を描く。『週刊少年マガジン』196811日号~1973513日号に連載。講談社少年マガジンKC20巻。1970年~71年フジテレビ系列で、1980年~81年日本テレビ系列でアニメが放映され、劇場版2(1971年、1981)が制作されたほか、1971年には長谷部安春監督、2011年には曽利文彦監督による実写映画が公開された。(コトバンク)


by Twalking | 2018-11-30 21:35 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 京王5000系車両   

d0183387_22095687.jpg

京王線聖蹟桜ヶ丘駅/多摩市
「回送」て表示されていますね・・・、
ちょっと止まって、すぐ発車、
慣らしでしょうか??、いいデザインですね~。


クハ5700
京王5000系電車は2017(平成29年)から製造されている京王線用の通勤形電車である。京王電鉄で初めての座席指定列車で運用されることを想定しクロスシートとロングシートに転換できるデュアルシートを備える。2017年のグットデザイン賞に選定されている。クハ5700は新宿寄り制御者である。2017年度にクハ5731-クハ57355両が製造された。「デ」は電動車を「ク」は制御者を「サ」は付随車を「ハ」は普通座席車を指す略号であり、形式名の前のカタカナ2文字はこれらを組み合わせたものである。(Wikipedia


by Twalking | 2018-11-29 22:18 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり浅草橋~三ノ輪05-新吉原   

日時 2018.11.10(土)
天気 晴れ


日本堤を来たかったんですが、新吉原への道は
いく筋かあったようです。
見返り柳から大門を入り仲町通りを歩いてみました。

遺構は少ないですが「江戸通り」「京町通り」など、
凡その外観は掴めます。鷲神社に寄り、裏道を
樋口一葉の旧知を訪ねて三ノ輪にゴール。

鳥越神社、浅草寺、猿若町、新吉原等々と見所が
多く、距離の割には時間を要しましたが、
この奥浅草は面白いですね~、また歩いてみたいと思います。


・・・千束
(せんぞく)

千束三丁目と千束四丁目付近は「吉原(新吉原)」と呼ばれ、江戸時代には吉原遊郭と呼ばれる江戸幕府公認の遊郭があったところである。この吉原は赤線地帯を経て売春防止法施行後はその名残として千束四丁目付近のソープランド街として残り、その規模・店舗数は日本一である。
吉原神社 浅草七福神の1つ。芸能の神様として崇敬されている。Wikipedia

d0183387_20035769.jpg
街道の風景① 土手通り大門交差点を左折すると新吉原、角に見返り柳の碑があります/土手通り

d0183387_21420355.jpg
見返り柳
吉原遊郭の名所のひとつで、京都の
島原遊郭の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名があり『きぬぎぬのうしろ髪ひく 柳かな 見返れば 意見か柳 顔をうち』など多くの川柳の題材となっている。かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって数代にわたり植え替えられている。(台東区教育委員会)


d0183387_21465945.jpg
d0183387_21470381.jpg
くの字に曲がる五十間道を上ると大門です

d0183387_22154326.jpg
d0183387_22160664.jpg
吉原公園 吉原きっての大店「大文字楼」があった場所です。外周は「歯黒どぶ」で囲まれていましたが、その名残りでしょうか、段差が見られます。

d0183387_22204039.jpg
遊郭の入口に門がありました、遊郭のメイン通りは仲之町通り、交差するのが江戸通りでしょうか

d0183387_18031716.png
旧浅草新吉原江戸町二丁目
元和3年(1617)幕府は日本橋葺屋町(ふきやちょう)東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂る所を埋め立てて造ったことからはじめのころは「葭原」(よしわら)と呼ばれた。そして寛永3年(1626)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦2年(1656)になると町奉行から吉原を浅草日本堤へ移転するように命じられ、翌3年に移動した。それからこの付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目二丁目京町一丁目二丁目角町の五カ町であった。そのうちの江戸町二丁目元和41618)にできたが、はじめは本柳二丁目と呼ばれていた。その後、江戸が大変繁盛していたことからこれにあやかって江戸町二丁目と改称した。(下町まちしるべ/台東区)

d0183387_23254755.png
旧浅草新吉原揚屋町(あげやちょう)
(前文は江戸二丁目と同じ)揚屋町ができたのは吉原が矧吉原へ移転する際に、それまで各町にあった揚屋を一カ所にまとめたときである。
下町まちしるべ/台東区)


揚屋
(あげや)
江戸時代客が、置屋から太夫、天神、花魁などの高級遊女を呼んで遊んだ店。太夫は官許の遊女の最上位(江戸吉原では花魁)、天神はその次位で、揚げ代が25匁だったことから北野天神(北野天満宮)の縁日の25日にかけて天神と呼ばれた。茶屋(お茶屋)より格上。揚屋の起源は江戸時代初期、街中に散在していた遊女屋を一箇所に集めて元吉原という遊郭が公許されたときである。従来行われていた遊女の町売りが禁止されたために、それまでのように遊女を呼び寄せることができなくなり、貴人や上流の客もその目的のためには遊郭のなかに足を踏み入れなければならなくなった。しかしその中には、直接娼家にいくことをはばかるものもあったからここに揚屋が生まれた。(Wikipedia

d0183387_18362254.jpg
この辺りまでが新吉原遊郭、交差するのは京町通りです

d0183387_18390832.jpg
江戸名所図会 新吉原 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

新吉原

浅草北部にあった遊郭。当初、日本橋葺屋長(ふきやちょう)の東側に開設したが、明暦21656)年に移転を命じられ翌年の明暦の大火の後、浅草千束村へ移った。以前を元吉原、以後を新吉原と呼ぶ。最盛期には3000人の遊女を抱えていた。日本堤から衣紋坂を通り、堤から遊郭が見えないように曲がった五十間道を経て大門をくぐって入る。日本堤から衣紋坂へと曲がる東角に柳があり、客が振りかえって名残を惜しむ位置にあるために「見返り柳」と呼ばれる。周囲には「御歯黒溝」(おはぐろどぶ)と呼ぶ堀をめぐらし、出入り口は大門一か所として遊女の脱走を防いだ。中央の大通り「仲之町」には春には桜を、秋には紅葉を移植するなど人工的な楽園を演出した。(錦絵で楽しむ江戸の名所/国立国会図書館)

d0183387_18523645.jpg
吉原神社鳥居/千束

d0183387_18515992.jpg
吉原神社
御祭神:玄徳稲荷大神・開運稲荷大神・九郎助稲荷大神・榎本稲荷大神・明石稲荷大神・吉原弁財天
明治5年(1872)に新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社地主神である玄徳稲荷社合祀して吉原神社を創建した。さらに昭和10年(1935吉原弁財天を合祀した。当社は新吉原遊郭鎮守の社であり、遊郭の盛衰とともに歴史を重ね、初午・祭礼の賑い、ことに花魁の参拝は古書にも記されている。現在も幸せを祈る女性への御利益はよくしられている。当社は浅草名所七福神の一社(弁財天)であり新春には福笹・福絵馬を授与する。(境内縁起)

d0183387_18520555.jpg
穴神社
地中の神様で神社の土地をお守りしています。心を込めてお参りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りしております。(案内板)

d0183387_18593598.jpg
吉原弁財天/千束

d0183387_19020508.jpg
d0183387_19021195.jpg
吉原弁財天本宮社殿

吉原弁財天の本宮です。平成24年には有志の方々によって改修工事が行われ、壁一面には東京芸術大学の学生による壁画が描かれました。(吉原神社HP)

d0183387_18594177.jpg
新吉原花園池(弁天池)跡
江戸時代初期までこの付近は湿地帯で多くのが点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋立て日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年(1958)までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔弁天祠が祀られ遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として毎年正月に多くの参拝者が訪れている。池は花園池弁天池の名で呼ばれたが、大正12年(1923)の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ490人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大きな観音像は溺死した人々の供養のため大正15年(1926)に造立されたものである。昭和34年(1959)吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。(台東区教育委員会)

d0183387_19181839.jpg
花吉原名残碑
吉原
は江戸における唯一の幕府公許の遊郭で、元和3年(1617葺屋町東隣(現中央区日本橋人形町付近)に開設した。吉原の名称は植物のの生い茂る湿地を埋め立てて町を造成したことにより、はじめ葭原と称したのを、のちに縁起の良い文字にあらためたことによるという。明暦3年(1657)の大火を契機に、幕府により吉原遊郭の郊外移転が実行され、同明暦3年(16578浅草千束村(現台東区千束)に移転した。これを「新吉原」と呼び移転前の遊郭を「元吉原」という。新吉原は江戸で有数の遊興地として繁栄を極め、華麗な江戸文化の一翼をにない幾多の歴史を刻んだが、昭和331958)「売春防止法」の成立によって廃止された。その名残を記す当碑は昭和35年(1960)地域有志によって建てられたもので、碑文は共立女子大学教授で俳人・古川柳研究家の山路閑古による。昭和41年(1966)の住居標示の変更まで新吉原江戸町、京町、角町、揚屋町などのゆかりの町名が残っていた。(台東区教育委員会)

d0183387_19181020.jpg
d0183387_19411626.jpg
吉原観音               境内外観

d0183387_16434862.jpg
街道の風景② 国際通りに出て北へ行くと鷲神社です

d0183387_23260101.jpg
鷲神社 又木の先に朱塗りの大鳥居があります/千束

d0183387_23262653.jpg
d0183387_23263196.jpg
大熊手                参道の小鳥居(天保10年建立)

d0183387_15174547.jpg
鷲神社(おおとりじんじゃ)
鷲神社は江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。祭神は天之日鷲命(あめのひわしのみこと)・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば天之日鷲命の祠に日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が11月酉の日で以後この日をお祭と定めたという。酉の市は江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を「大鳥」、浅草を「新鳥」と称した。浅草はとくに浅草観音・新吉原・猿若芝居小屋を控え賑わいをみせた。一の酉、二の酉、年によって三の酉とあり世俗に三の酉があると火事が多いと言われる。酉の市は当初、農産物や農具の一種として実用的熊手を売る市であった。その後、熊では幸運や財産を「かきこむ」といわれ縁起物として商売繁昌開運の御守として尊ばれてきた。また、八ツ頭は人の頭になる、子宝に恵まれるといわれる。(台東区教育委員会)

d0183387_00515883.jpg
鷲神社
江戸時代までは長国寺境内社である鷲大明神だったが明治維新の神仏分離に際し独立、社名を鷲神社と改称した。創建年代不明。毎年11月酉の日の例祭は酉の市(酉のまち、お酉さま)と呼ばれ、江戸時代から続く行事。大小とりどりの熊手、八ツ頭芋、お多福の面などを売るので有名で、商売繁盛を祈る商人や職人で賑わった。もともとは農具・古着・農作物・餅などが売られる農村的な祭が発祥だったが、農具の一つとしての熊手が「福を掻き込む」と考えられ、次第に農民以外に人気を博して都会的な祭となった。(錦絵で楽しむ江戸の名所/国立国会図書館)
錦絵:酉の丁銘物くまで/広重・豊国

d0183387_15232396.jpg
長国寺山門
/千束


d0183387_15232741.jpg
長国寺
台東区千束にある法華宗本門流の寺院。山号は鷲在山(じゅざいさん)、大本山鷲山寺末。長國寺とも書く。浅草酉の市発祥の寺。寛永7年(1630)石田三成の遺子といわれる鷲山寺13世・日乾が鳥越町に開山し、寛文9年(1669新吉原に近い現在地へ移転した。本尊は鷲妙見大菩薩である。1265日蓮が上総国鷲巣(現千葉県茂原市)の小早川家(現鷲山寺)に滞在し、国家平穏を願って祈ったところ、にわかに金星が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わる。11月酉の日のことであった。1771年この鷲妙見日玄鷲山寺から当山へ移し祀った。当時は本堂のほかに諸堂を配した大伽藍があり、鷲妙見が安置された番神堂は妙見堂、鷲大明神の社、鷲の宮とも呼ばれた。明治初年の神仏分離令により境内を含め寺と鷲神社に分割された。七曜の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれている。とりわけ、応現の日にちなんで開催されてきた浅草「酉の市」の本尊として、江戸時代から広く振興されている。
Wikipedia


・・・・竜泉


慶長から元和頃に龍泉寺が創建され、辺り一帯を所領としこれが龍泉寺村と呼ばれるようになった。その後天領を経て、正保年間より寛永寺領領となった。明暦の大火後吉原遊郭が村内日本堤に移転し新吉原となった。 1679年(延宝2年)頃、新吉原へ向かう現在の茶屋町通り沿いに町並みが形成され、1745年(延享2年)これが下谷竜泉寺町として町奉行支配となり、1869年(明治2年)竜泉寺村との混同を避けるため下谷竜泉町に改称された。1893年(明治26年)より翌年にかけて樋口一葉が居住し『たけくらべ』の舞台とされている。
Wikipedia

d0183387_16545019.jpg
街道の風景③ 鷲神社裏を北に行くと飛不動さん、一葉の旧宅はの通りは京町通りの北側入口なんですね

d0183387_15362515.png
旧竜泉寺町
本町名は竜泉寺にちなんで付けられた。竜泉寺は慶長から元和の頃(15961623)に創建された古刹である。そのためこの付近一帯は竜泉寺村といわれた。延宝7(1679)の頃、吉原から金杉へ抜ける道筋に町屋が出来、竜泉寺村とは別にそこを竜泉寺町と呼んだ。明治2年に下谷竜泉町と改称したが同24年竜泉寺村、千束村おやび三ノ輪村の一部とともに下谷竜泉寺町として誕生した。そして明治44年に下谷を略して再び竜泉寺町となった。明治文壇の女流作家樋口一葉は明治267月からこの地に住んだ。わずか10箇月だったがここの生活があってこそ一葉文学が生まれたといえる。(下町まちしるべ/台東区)

d0183387_16093756.jpg
正宝院(飛不動)/竜泉


d0183387_16094133.jpg
天台宗龍光山正宝院三高寺(通称・飛不動)
正寶院は
享禄31530)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。当寺の本尊は木造不動明王坐像で「飛不動」の通称で知られている。名の由来は昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り人々にご利益を授けたことによると伝えられている。「飛不動」は本尊の通称だけでなく正寶院の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(16611673)の『新版江戸大絵図』にはすでに「飛不動」の名で見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く『日本国華万葉記』や『江戸砂子』などに江戸の代表的な不動霊場の1つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。(台東区教育委員会)

d0183387_16183160.jpg
樋口一葉旧居跡/竜泉
樋口一葉は明治26年(1893720本郷菊坂町より下谷竜泉寺368番地に移り住み、この界隈を背景にして不朽の名作「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得た。この碑の位置は一葉宅の左隣り酒屋の跡にて、一葉と同番地の西端に近く碑より東方6mが旧居に当る。なお一葉はこのあたりを『鶉なく聲もきこえて花すヽき まねく野末の夕べさびしも』と和歌に詠んでいる。昭和51年(19761123日(一葉没後80年)(台東区教育委員会)

d0183387_16341045.jpg
左手が一葉記念館、右手が一葉記念公園です/竜泉

d0183387_16345460.jpg
d0183387_16344967.jpg

d0183387_16185273.jpg
樋口一葉舊居
ここは明治文壇の天才樋口一葉舊居の跡なり。一葉この地に住みて『たけくらべ』を書く。明治時代の龍泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは昭和11年(1936年)7月のことなりき。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和20年(1945年)3月この邊一帯も焼野ヶ原となり碑も共に溶く。有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き作家としての面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな菊池寛今は亡く文章を次ぐに由なし。僕代って蕪辞を列ねその後の事を記す。嗚呼。菊池寛撰昭和24年(1949年)3月 小島政次郎補書 森田春鶴刻


d0183387_16185678.jpg
一葉女子たけくらべ記念碑
近代文学不朽の名作『たけくらべ』は樋口一葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界隈が舞台となった。これを記念して昭和26年(1951年)11月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。 碑文は女史の旧友歌人・佐佐木信綱博士作並びに書による次の歌二首が刻まれている。

紫の古りし光にたくへつべし 君ここに住みてそめし 筆のあや
そのかみの 美登利信如らも この園に 来あそぶらむか 月しろき夜を
佐佐木信綱 

d0183387_17035542.jpg
街道の風景④ この先が三ノ輪駅ですが左折して千束稲荷神社へ寄り道です/竜泉

d0183387_17134344.jpg
千束稲荷神社鳥居/千束

当社の鳥居は文化10年(1813)の建立で柱には江戸後期の書家亀田鵬斉の書とされる「資生功廣郷里沐調和、化育徳宏閭閻蒙保障」(神の徳により資生産業は栄え、郷里は、静かに調和を保ち、平安無事な日々が保証される)と刻まれています。(千束稲荷神社HP)


d0183387_17142371.jpg
千束稲荷神社
台東区にある神社、旧社格は村社。祭神は
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)素戔嗚尊(すさのおのみこと)。創建年代は不詳であるが、寛文年間に創建されたと考えられる。かつて浅草は千束郷と称されており、南北二社の稲荷社があった。そのうちにあった下千束稲荷が千束稲荷神社の前身にあたる。なお、浅草寺境内にあった南の上千束稲荷(西宮稲荷とも)は既に廃絶している。関東大震災では区画整理のため東に50mの場所に移動している。樋口一葉1893年(明治26年)から翌年にかけて竜泉寺町368番地(現・竜泉一丁目)に居住しており、千束稲荷神社の近くに住んでいた。そのため『たけくらべ』での美登利と長吉が喧嘩する祭りのシーンは、当時の千束稲荷神社の例祭がモデルになっているとされている。当時は、現在と異なり8月に祭りが行われており俵が積まれただけのシンプルな神輿だったとされている。Wikipedia

d0183387_17164853.jpg
一葉の胸像
「明日ハ鎮守なる千束神社の大祭なり 今歳は殊ににぎはしく山車などをも 引出るとて人々さわぐ 樋口夏」樋口一葉『塵中日記』明治26819日 一葉の自筆(樋口陽氏所蔵)一葉は明治267月に龍泉寺町に転居し十ヶ月余りを過ごしました。そして生活や町の様子を日記に書き、名作『たけくらべ』に描きました。(案内板)

d0183387_17440245.jpg
街道の風景⑤ いい夕暮れですね~!三ノ輪駅に辿り着きました/昭和通り合流点

d0183387_18425107.png
浅草北部地域案内図
(赤:歩行ルート 緑:旧日光・奥州街道 橙:国際通り・土手通り・橋場通り・言問通り・明治通り 青・山谷堀・隅田川)

d0183387_23305662.png
新吉原周辺マップ 明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(赤:歩行ルート 緑:旧日光・奥州街道 青:山谷堀)

d0183387_00414573.jpg
浅草橋~三ノ輪ルート図
(赤:歩行ルート 緑:旧日光街道 橙:延喜式古東海道 紫:古東海道(府中~市川) 黄:御成道 青:隅田川・神田川)


・・・・・・・・
資料ファイル

d0183387_19421054.png
吉原遊廓
江戸幕府によって公認された遊郭である。始めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府(現在の静岡市葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある(葦=悪しに通じるのを忌んで吉と付けた)Wikipedia抜粋)
絵図:今戸箕輪浅草絵図(錦絵で楽しむ江戸の名所/国立国会図書館)


庄司甚右衛門
江戸・吉原遊廓の開設者。前名甚内(じんない)1612年(慶長17)に江戸市中の遊女屋を集めて傾城(けいせい)を設立することを出願し、5年後に許可されて吉原町ができるとその町の名主に任命され、自らも西田屋という妓楼をもった。「おやじ」と通称されたことにその権威を推測させるが、出身は小田原北条氏の浪人とも、東海道吉原宿の人ともいわれ不明な点が多い。(コトバンク)

d0183387_19472246.jpg
江戸末期の新吉原の見取り図

右のくねった道は日本堤から下る「衣紋坂」とそれに続く「五十間」で、遊廓への唯一の公式通路。「大門」をくぐった先が吉原遊廓で、高い塀と「おはぐろどぶ」に囲まれた隔絶された楽園であった。廓内は通りごとにいくつかのエリアに分かれていた。道路のつくりはほぼこのとおりに現存していて地図で容易に確認することができる(実際にはもっと上下に広く左右に狭い)/Wikipedia

規模

敷地面積は2万坪あまり。最盛期で数千人の遊女がいたとされる。周囲にお歯黒溝(どぶ)と呼ばれる大溝があり、新吉原初期の頃には幅5間(約9)、江戸末期から明治初期には縮小され幅2間(約3.6)、明治36年頃には3尺(約90cm)程の堀が巡らされ、出入口は正面を山谷堀沿い日本堤側のみと外界から隔絶されていた。新吉原には京町12丁目、江戸町12丁目、仲之町、揚屋町、角町があったWikipedia抜粋)

by Twalking | 2018-11-29 20:05 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 宙ぶらりん   

d0183387_16541166.jpg

豊ヶ丘北公園/多摩市豊ヶ丘
北を向いてるんだけど
まだかなぁ~・・・
木枯らし1号さんは。


木枯らし
日本の太平洋側地域において晩秋から初冬の間に吹く風速8/s以上の北寄り(北から西北西)の風のことで、冬型の気圧配置になったことを示す現象である。とも表記する。東京においての木枯らしの条件は
1.期間は10月半ばから11月末までの間に限る
2.気圧配置が西高東低の冬型となって、季節風が吹くこと。
3.東京における風向が西北西~北である。
4.東京における最大風速が、おおむね風力風速8m/s以上である。
以上の条件を満たした風を「木枯らし」と認定する。そして毎秋最初の木枯らしを木枯らし一号として発表する。(Wikipedia


by Twalking | 2018-11-29 17:12 | ○たま-2018

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 府中駅   

d0183387_23113327.jpg

京王線府中駅/府中市
いつもは調布経由ですが、今朝はバスで聖蹟桜ヶ丘へ。
「シルバーパス」を初めて使ってみましたが、
時間を合わせればバスもなかなか便利ですね~!


府中駅
府中市宮町一丁目にある京王電鉄の駅である。当駅は地理的にも行政的にも府中市の中心部に位置しており、JR東日本府中本町駅とともに府中市を代表する駅である。「都会的で現代的なミュージアムをイメージさせる駅」として関東の駅百選にも選定されている。三層構造の高架駅であり、島式ホーム24線は最上階にある。プラットホーム階から一階下りた所が改札階であり改札口は南北に2か所ある。改札階を出ると南北にペデストリアンデッキ「府中スカイナード」が続いている。駅舎は西側のショッピングセンターおよび東側の東モールと一体となった構造である。(Wikipedia


by Twalking | 2018-11-28 23:20 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 バラ   

d0183387_15004599.jpg

多摩市愛宕
おはよ~!コクテールさん、
元気に咲いてるね・・・、
息の長いこと。

by Twalking | 2018-11-28 15:03 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ウオーキング風景   

d0183387_16551325.jpg

府中ウオーキング大会/清水下通り(府中市白糸台)
「あれ、どうされました?」
「逆に来ちゃったみたい・・・、どっちかしら?」
「お天気もいいし、折角ですから、ご一緒しましょう!」
20kmのアンカーでしたので分岐点までご案内のひとコマでした。

「歩いて知ろう!わがまち府中-2018」の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/27238582/

by Twalking | 2018-11-27 17:22 | ○walk

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 『歩いて知ろうわがまち府中-2018』   

日時 2018.11.25(日)
天気 晴れ


絶好のウオーキング日和に恵まれましたね~、
府中のウオーキング大会に行ってきました。
運営側なので準備とアンカー担当です。

事前申し込みで各コースの人数が限られていますが、
回を重ねるごとに充実した大会になっていると感じます。
晩秋の府中路、楽しんでいただけたでしょうか?!
みなさん、どうもありがとうございました。



・・・スターティング風景

d0183387_12285970.jpg
メイン会場はケヤ通りのフォーリス前です

d0183387_13152638.jpg
d0183387_13153475.jpg
主催者ご挨拶                    コース説明&ストレッチ

d0183387_13173291.jpg
高野市長の合図で20km&13kmコースのスタートです

d0183387_13243214.jpg
d0183387_13245965.jpg
20kmは京所通り、13kmは府中街道まで誘導、後はフリーW、いってらっしゃ~い!

d0183387_13272352.jpg
ウオーキング風景 20kmは京所通りから府中八幡宮へ向かいます

d0183387_13352389.jpg
ポールウオーキングのスタート、寿中央公園でレッスンの後、団体歩行です

d0183387_13391090.jpg
d0183387_13413947.jpg
レンタルポールの組み立て            ウオーキング風景


・・・チェックポイント

d0183387_13521212.jpg
チェックポイントは多磨駅前、「多磨駅商店会」のみなさまからおしるこのご接待を頂きました/多磨駅前

d0183387_14213206.jpg
d0183387_13515654.jpg
和菓子屋さんのあん、美味しかったですね~!ありがとうございました

d0183387_13592271.jpg
多磨駅商店会
西武多摩川線の多磨駅東口に位置し、調布市と三鷹市の辺境にあたり府中市の東玄関ともいえる商店街です。また多磨霊園が近くにあることから市内外から多数の方がお見えになります。商店街では従来のお客様の他にも、新しいお客様も大切にコミュニケーションを図っていこうとがんばっています。お気軽に足をお運び下さい。(見どころスポット/コース地図)

・・・

d0183387_16362831.jpg
20kmアンカーゴール!
矢張設置やコース誘導等大会運営にご支援頂いたのは「日本ウオーキング協会」のみなさん、朝早くからお疲れさまでした、ありがとうございました。

d0183387_16355581.jpg
ポールWは「日本ポールウオーキング協会」のご協力、コーチのみなさんありがとうございました。


・・・見どころスポット


d0183387_15493343.jpg
馬場大門のけやき並木
1062年、源頼義・義家父子が前九年の役の戦勝祈願御礼としてけやきの苗1000本を寄進したことに始まり、その後徳川家康が関ヶ原、大坂両役の戦勝の御礼として馬場を献上し、けやきの苗を補植したと言われております。大正13年にはの天然記念物に指定され、現在のけやき並木にはその江戸時代のものが数本残っているほか、けやきが152本、その他かえでなどの老樹を含め合計で200本を超える樹が植えられています。けやき並木の道が天然記念物に指定されているのは日本ではここだけです。(見どころスポット/コース地図)(「キテキテ府中マルシェ」が同時開催です)

d0183387_15525213.jpg
大國魂神社
社伝によれば景行天皇4111155日、武蔵国の護り神として大國魂大神を祀ったのが始まりとされています。大化の改新後、この地に武蔵国の「国府」が置かれて以来、「国司」が祭祀を執り行っていましたが、平安時代に各緒守を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では大國魂神社がその総社となり、さらに平安末期には著名な六ケ所の神社を合祀して「武蔵六所宮」と呼ばれるようになりました。武士の世の中になっても広く武将たちの信仰を集め衰えることはなかったようです。徳川家康が関ヶ原の戦いや大坂夏の陣の戦勝祈願成就の御礼として馬場を献上し、本殿や拝殿、楼門を修築しています。明治41871)に武蔵総社大國魂神社と改称し現在に至ります。毎年5月の例大祭・くらやみ祭では80万人の観光客で賑わいます。(見どころスポット/コース地図)(今日は三の酉、出店がでてこちらも賑わっています)

d0183387_16042289.jpg
国史跡武蔵国府跡
大化の改新によって武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)がおかれ、その政治の中心地「国府」は現在の府中市に置かれました。30年余りに及ぶ発掘調査の結果、国府の政務機関である「国衙」(こくが)の跡が、大國魂神社境内およびその東側一帯に存在していたことが確実となり、さらにその中枢施設「国庁」とみられる大型建物跡が発見されました。この建物跡は最重要施設として史跡に指定されています。(見どころスポット/コース地図)

武蔵国衙跡の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/18098975/

d0183387_16064904.jpg
JRA東京競馬場
競馬の祭典・日本ダービーや天皇賞(秋)など多くのG1レースを開催する全国的にも知られた府中市の名物です。遊具や博物館、飲食店も充実しているので親子連れでも楽しめます。(見どころスポット/コース地図)(「ジャパンカップ」が開催されていました)


d0183387_16102087.jpg
武蔵国府八幡宮
聖武天皇(在位724794一国一社八幡宮として創立したものと伝えられる古社。今もうっそうとした林が神社を取り囲み荘厳な雰囲気をかもしだしています。(見どころスポット/コース地図)

d0183387_16115839.jpg
武蔵野の森総合スポーツプラザ
20171125日にオープンした調布市所在の新たなスポーツ施設。東京2020オリンピック・パラリンピックの競技会場にもなります。(見どころスポット/コース地図)

d0183387_16134665.jpg
本願寺
白糸台5丁目にある浄土宗のお寺で、八幡山広得院と号します。本尊は阿弥陀三尊の木像であり、開山は教誉良懐といわれています。もとは現在の第四小学校にお堂があり、大久保彦四郎が兵火で焼けていた薬師堂を再建したことから、彦四郎寺と呼ばれていました。天正2年(1574)四世円良のときに宮崎泰重が大久保氏移住地である現在地に移したため、中興開山は円良とされています。本堂は七間四方で境内には宮崎泰重及びその子孫の墓があります。(見どころスポット/コース地図)

d0183387_16153575.jpg
サントリー府中スポーツセンター
ラクビーチームの「サントリーサンゴリアス」のホームグランド。練習日は誰でも見学することが可能です。ウオーキング開催日はトレーニングのオフの日のため施設内には入れません(見どころスポット/コース地図)


d0183387_16272486.jpg
郷土の森博物館
14ha の広さの「郷土の森」がひろがるフィ-ルドミュ-ジアムです。昭和62年に開園。敷地には府中の歴史や風土・自然を紹介する博物館本館、プラネタリウムや8棟の復元建造物、広々とした芝生広場、梅、水遊びの出来る池などがあります。博物館本館の常設の展示室には考古、歴史、民俗、自然、天文のそれぞれの分野ごとに実物の資料が展示されているばかりでなく、映像や模型なども使って府中の歴史や自然をわかりやすく紹介しています。ふるさと体験館では土日に府中市などに伝わる伝統的なものを作ったり出来る体験学習も開かれています。わらぞうり教室や竹とんぼ教室などの事前の申込みがいるものから、当日申込みができるものもあり職人や専門家の「名人技」を見ることもできます。コンサートやお茶会なども開かれるなど家族みんなが楽しめる施設です。広い園内を四季の移ろいを感じながら巡ってみてはいかがでしょう。(見どころスポット/コース地図)(写真郷土の森公園)

郷土の森博物館の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/22009122/


d0183387_17190590.jpg
国史跡武蔵国府跡(国司館(たち)地区史跡広場
1300年ほど前に武蔵国府の国司館があった場所。430年前に徳川家康の府中御殿も置かれた府中市の歴史を象徴するの史蹟です。保存・整備にあたっては、発掘調査の成果をもとに国史跡の指定を受けている国司館を中心に整備しました。(見どころスポット/コース地図)(写真は下見時のものです)


・・・

d0183387_21030509.png
いけいけ20kmコース地図

5回ウオーキング大会『歩いて知ろう!わがまち府中』
日時 2018.11.25(日)
主催 府中市
メイン会場 フォーリス前(ケヤキ並木)
コース 「いけいけ20km」「るんるん13km」「ファミリー6km」    
    「ポールウオーキング4km」「ガイドコース」の5コースを設定

by Twalking | 2018-11-26 21:33 | DogWarkig&セミナー(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 オブジェ-こぼすなさま   

d0183387_21330000.jpg

童々広場/桜通り(府中市寿町)
「もうちょっとだよ~、ラスト、がんばれ~!」
「あいよ、ありがとう~!」
はいいけど、あなた、だれ~????

by Twalking | 2018-11-25 21:40 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩の秋-愛宕通り(西側)   

d0183387_21164987.jpg

愛宕通り/多摩市愛宕(三本杉陸橋)
愛宕通りの街路樹はトウカエデ、
西側から紅葉がはじまります。
モミジとトウカエデの競演、美しいですね~!


トウカエデ(唐楓)

カエデ科の落葉高木。中国原産で観賞用として庭園などで栽植され、また都会の公園や街路樹としてよく植えられている。対生する葉の上部は浅く3裂し、裂片は全縁で若いときは白毛を有するがのちに無毛となる。春に散房状に淡黄色の小花をつける。果実は翼をもち翼はほとんど平行に開く。秋に美しく紅葉する。和名は中国から伝えられたことによる。(コトバンク)


by Twalking | 2018-11-24 21:28 | ○たま-2018